No.2 / Vol.7 「サーの称号」

「じゃあ、村口くんは、オレが送ってくから。あと、よろしく頼むわ」

 本来は先月予定されていた薄型万年筆『スリムマン』の出荷記念慰労会は、結局、忘年会と新年会、ついでに新人歓迎会と花見も兼ねて、今日ようやく行われるに至った。もっとも、桜の花びらはとっくに散ってしまっていたのだが、それでも半年ぶりに行われる我が企画開発課をあげての大宴会であっただけに、それは異常な盛り上がりを見せた。研修を終えて配属されたばかりで、3次会まで付き合わされた新人たちは、どう感じたことだろう。この日のために髪を脱色までして来た、内野課長のラルク・アン・シエルを・・・

 そもそも『スリムマン』の初回ロット不良は、名目上は設計担当の鈴木主任のミスとされているが、実際のところ、工場への素材発注に不手際があった内野課長の原因だということを誰もが知っていた。更に言えば、課長の富山工場への出張のうち、半分以上がカラ出張であることも、無意味な接待交際費が計上されていることも、ついでに企画室の村口と不倫してることも、その場にいる皆が了解している事実であった。
 ただ(一部を除いて)、そのことで課長をバッシングする声は上がらないし、現実問題として、派手なパフォーマンスと発言力で企画をねじ込んでしまう課長の手腕も、認めざるを得なかったのだ。
<こういうのを『ガキ大将』と言うんだろう。
 確かに課長には、過ちを茶目っ気と済ませてしまう器の広さがある、と思う。
<それに比べて、うちの主任は・・・
 今回の事件で一番とばっちりを食ったのが、僕の直属の上司である鈴木主任であることも、当然周知のことだ。経理の人間には、半年間の減給処分を受けたと聞いている。けれど、集まるはずの同情の声すらも、この人には上がらないのだ。決して、悪い人ではない。それは3年間部下として働いてきた実感としてある。真面目すぎるきらいもあるにはあるが、それで嫌われるようなことはない。
 つまるところ、影が薄いのだ、この人は。
 見事に禿げ上がった額に、わずかに残された髪の毛はすべて白髪ときている。たくわえたヒゲは少しは立派だが、こけた頬と落ちくぼんだ目で、顔の印象はすこぶるショボクレている。身長も、170にちょっと足りない僕より、もっと低い。女子社員の間で、『年金生活を送るMrオクレ』と呼ばれているのも、大きく頷けるところだ。少なくとも、見た目に限っては・・・
 どこからどう見ても、内野課長の同期には見えない。ということは、30代前半ってことなのだ。

「塚本くんは、これからどうするの?」
「・・・主任は、どうされるんですか?」
「うーん、ボクはもうちょっと飲んで、始発で帰ろうかな。塚本くんはホラ、企画室の子たちと、どこか行けばいいじゃない」
「いやぁ・・・」
 僕はチラっと幸恵の方を見た。幸恵たち企画室の、村口を除いた5人も、これからどうしようか迷っている様子だった。
 僕と幸恵は、同棲している。その事は、誰も知らない、はずだ。会社ではお互いに意識して離れるようにしているし、幸恵は今でも実家のある国分寺からの定期を買い続けている。
<まさか、主任が気付いてるってことはないよな。
 僕はちょっと戸惑いながらも、幸恵たちに声をかけて、主任と共に朝までやっているチェーン店の居酒屋に入ることにした。かなり酒が入っていたせいか、女の子連中も抵抗を見せない。というより、無視されてるのかもしれない。
 いや、正確には、無視されていた。しかも一番無視しまくっているのが、幸恵だから世話がやけた。幸恵は次から次へと会社への不満を叫び出したのだ。提案したネーミング案がすべてボツにされたこと、部長にセクハラされたこと、課長にヒイキされている村口のつまらない企画が通ってしまったこと云々・・・すべて僕が家で聞かされたことばかりだ。酒癖が悪いわけではないのだが、話し始めると止まらなくなるのが幸恵の欠点だった。そしてあろうことか、幸恵は本人の目の前で、主任を罵倒し始めたのだ。
 それでも、主任はニコニコとして頷くばかりだ。その隣で僕は、なかば呆れながら、幸恵の発作がおさまるのを祈るしかなかった。

「・・・ァにすんだ、このクソババァ!」
 うつむいていた僕は決定的瞬間を逃したが、その奇声といきり立つ男の姿で大体の察しはついた。調子にのった幸恵がグラスを持った手を振り回して、後ろの席に居たその男にウーロンハイをかけてしまったのだ。歳相応に見える幸恵を『ババア』と呼ぶところからしても、おそらく十代の、もしかしたら高校生ぐらいかもしれない、典型的な今風の若者グループの一人だった。若者と言いのけるには僕もそんな歳じゃないか。言うなれば、バカ連中だ。
「なにメンチきってんねん、じぶん!」
<やばい!幸恵が変な関西弁になっている!
 それは、マジギレしてる証拠だ。しかも、因縁付けてるのは幸恵の方だ。
 とにかく止めなければ、と思った瞬間、僕は意外な光景に出くわした。今まで僕の隣に居た鈴木主任が、いつの間にか幸恵とバカの間に割って入っていたのだ。入社以来初めて見る、主任の表情があった。
「塚本くん、みんなを外に」
 言われるまま僕が立ち上がると、バカの隣にいた一人がそれに合わせるように立ち上がった。こっちはバカに更に拍車をかけたような、まだら色のロンゲ野郎だ。欲求不満が溜まっていたのか、勢い僕に向かって手を伸ばして来る!その手を、主任が止めた。見るともう片方の手で、最初のバカの襟首をつかんでいる。
 さすがにこの状況になって酔いも醒めたのか、女の子たちは一斉に席を立った。怒りの治まらない幸恵を強引に引きずって、僕は店の外に出た。

「とにかく店の人に言えばなんとかなるから、みんなはまとまって、どっかへ行ってて」
 逃げる最中で幸恵が僕の愛称を呼んだ気もするが、そんなことはどうでもいい。とにかく僕は女の子たちを送り出すと、主任の元へ戻ろうとした。すると、当のバカグループの面々が、すれ違うように席を立ったところだった。襟首をつかまれていたバカは、痛々しく首元を触っている。
 主任は、惚けたように席に座り込んでいた。いつもの表情に戻っていた。
「大丈夫ですか、主任?」
「店の人が間に入ってくれてね、助かったよ。あぁ、怖かったなぁ」
 見ると、主任の手が震えていた。うっすらと、涙目になっているのも分かった。
「びっくりしましたよ。主任があんなことするなんて」
「そうだね。・・・あぁ、これに後押しされたのかもしれないな」
 そう言うと、主任はカバンから小さな台紙を取り出した。それは、歴代ジェームス・ボンド、通称007の愛用したボンド・カーをミニカーにしたシリーズのパッケージで、車種はトヨタ2000GT、つまり『007は2度死ぬ』で使用されたものだ。台紙には当時のボンド役だったショーン・コネリーの写真が使われている。
「ボクのね、父親なんだよ・・・」
 僕には何のことだか分からなかった。
「ボクの母親は、女優でね。この映画に出ていたんだよ。いや、もちろん『ボンド・ガール』ってわけじゃないけどね。女優と言っても、エキストラ専門みたいなものだったらしいから・・・」
 主任の言葉は、それ以上続かなかった。
 けれど、僕にはすべてが理解できた。
 なぜなら、主任は、父親によく似ていたからだ。僕もよく知っている、その俳優に。

「・・・でも塚本くん、自分の彼女は、やっぱり自分で守らなきゃダメだよ」
 僕はとても誇り高い気持ちになって、うつむく主任の姿を、ずっと見つめていた。

[この物語はフィクションです]


Playing Mantis / JOHNNY LIGHTNING (007/You Only Live Twice)


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