No.9 / Vol.2 「キン肉ロード」

「あのー、中村さん、次のサービスエリアで、停まって貰えませんかねぇ」
 腹を押さえて、いかにも苦しそうに訴えたせいか、鈍感な中村さんもすぐにぼくが便意をもよおしてることに気付いてくれた。
「なんだ、ガンダム君、さっき済ませたんじゃなかったのか?」
「いや、どうも、腹の調子が悪くて」
「だから言ったろぅ?ありゃヨード卵じゃなくて、腐ってたんだって」
「ははは、そうっすね・・・」
「そうかー。原木中山の出口んとこに公衆便所があるから、そこまで我慢だな」
「そうですか」
「我慢だよ、ガンダム君」
 いつも組んでいる西野さんに聞いたんだろう、中村さんは会社のみんながそう言うように、ぼくのことを最初から「ガンダム君」と呼んだ。そう言われるたびに、ぼくが少しずつ傷付いていることも知らずに。

 中村さんと組むのは、これが初めてだ。
 ぼくがいつも一緒に走っている逆井さんが法事で休暇をとったため、週末担当の中村さんが連チャンでドライバーを勤めることになったのだ。火曜日は特に荷物が多いくせに、1号・2号車の2トン車部隊が今日は埼玉方面へ回されたせいで、ハイエースに積めるだけのものを積み込んでの配送である。年輩の中村さんにはヘビーな気もしたけれど、意外にも普段より配送はスムーズに進んでいた。ぼくのこの腹痛は、まさに予想外のトラブルだったわけだ。
<まぁ、歳の功ってのもあるだろうからな。

 おそらく60を間近に控えたその歳になって、中村さんはうちの会社に就職してきた。そして噂によれば、前にもやっぱり運送の仕事をしていたらしい。
 世間的にリストラの嵐が吹きすさぶ中、同業種への再就職自体はごくありふれたことだ。ただ奇妙だったのは、やはりその年令と、どうやら足に障害を持っているらしいということだった。それほど目立つ具合でもないのだが、そのせいか、たとえワゴンでの配送であっても、中村さんには必ずポーターの助手が付けられる。
 うちの会社だって、変な話、リスクを好んで背負い込むほど儲かってるわけじゃない。だから不思議だった。
 それに、中村さんにはすごい逸話があった。なんでも以前の会社で、荷台の扉を締め忘れて、商品を道に散乱させながら10キロも走り続けたというのだ。おそらく尾ヒレぐらいは付いてるかもしれないが、中村さん自身もそれを否定しなかったと言うのだから、まんざらデタラメでもないのだろう。それが本当だったら−というより、それはたぶん本当なのだ。中村さんの致命的な鈍感さは、例えば今朝からずっとズボンのチャックが開けっ放しであることからも分かる。もしかしたら、それでクビになったのかもしれない。
 事務のおばさんにも、「中村さんと走る時には、荷台からものが落ちてないか注意してね」って言われたぐらいなのだ。

「しゃべってた方がいいぞ。気がまぎれて、ウンコも引っ込むからな」
「そうっすねぇ・・・」
「それともどっか、そのへんで済ませるか?」
「いやぁ、それはちょっと・・・」
「俺も昔、長距離やってた頃はさ、よくやったもんだよ、野グソをさ。今でもたまに見るよな、野グソしてるやつ」
「高速でですか?」
「よくあるよ。見てると、たまにあるよ、今でも」
「小便は見ますけどねぇ」
「大便はさ、見えないようにやんのさ。車停めて、陰でペロっとケツ出してな。だから大体、昼間っから路肩停めてるトラックとかひょいって覗くと、あぁ、やってんな、ってさ。ウンコなんてのは雨でも降っちまえばキレイなもんだよ。煙草の吸い殻なんかより、よっぽど質が良いんだ。あ、悪ぃ悪い、ウンコの話してっと、もよおして来るかい?」
<やっと気付いたか。やっぱりこの鈍感さだよな。
「・・・あのぅ・・・」
 ぼくはその、散乱させた商品がどうなったのか、なんとなく聞いてみたかった。
「ガンダム君は、なんで『ガンダム君』って言うんだ?」
「は?・・・はぁ・・・」
<よりによって、どうしてこっちが話したくないことを聞いて来るんだろう。いや、もし中村さんにとって、商品バラまきツアーの話がタブーだったとするなら、これは先制攻撃を受けたってことか。さて、どう逃れよう・・・あぁでも、ほんとに痛いな、腹・・・

 困りに困っていた時、その音は聞こえた。
 ぼくはとっさにバックミラーを見た。間違いない。見覚えのある青い箱が、道路に落ちてぐんぐん遠離っていく。ぼくは窓を開けて外へ身を乗り出し、後ろを振り返った。やっぱりそうだ。さっき亀戸で下ろした荷物の中にあった箱だ。
「おい、落ちたのか!?」
「はい、落ちてます!」
 次の瞬間、ぼくはまさに身がちぎれる痛みをおぼえた。中村さんが、急ブレーキをかけたのだ。その痛みを訴える暇も与えず、中村さんは外へ飛び出し、走り去ってしまっていた。
 痛みをこらえながら、ぼくも中村さんを追った。ワゴンのハッチを見ると、確かに半分開いてしまっている。その時、ぼくは初めてその事に気付いた。
<そうだ、亀戸でこの扉を閉めたのは、中村さんじゃない、このぼくだったのだ。
 慌てて中を覗き込むと、アソートの段ボールに異変はない。おそらく無造作に積んであった、アソート割れした剥き身の箱が落ちたらしい。あれは1個だったか、2個だったか・・・

「おい、ガンダム君、大丈夫だ」
 振り返ると、傷だらけの箱を手にした中村さんが、にこやかに微笑んで立っていた。
 その横を、けたたましいクラクションを鳴らして大型トラックが通り過ぎる。おそらく、中村さんが身を呈して守ってくれたのだ。
「1個だけだ。商品にゃならんが、まぁバイト代から天引きだな」
 ぼくはたまらずに道路に頭を伏して、何度も何度も土下座した。そうするしか、なかった。
「へへっ、俺に謝られてもしょうがないよ。後で事務の人に謝っときな。俺からも良く言っといてやるからさ。心配すんなって・・・まぁ、気持ちは分かるけどな」
 中村さんはそう言うと、ぼくの頭を帽子の上から何度も撫でた。汗のせいか、酸っぱい変な匂いがした。
「前の会社・・・今じゃバンダイロジパルっていうのかな?あそこで、同じことをやらかしたんだよ。昔、『キン消し』ってのがあったろう?あれが流行った時はすごいもんで、1年365日、朝から晩までキン消し積んで。4トン車パンパンにだよ。そりゃあツラかったもんさ。そして、ある時ちょっとうっかりしちまって、荷台の扉を閉め忘れてさ。・・・もしかしてこの話、誰かから聞いてたか?」
「はい・・・なんとなく」
「そうか・・・。後ろを振り返った時は、キモが縮んだよ。辺り一面、肌色のちっちゃい点々があるわけよ、キン消しの。知ってるだろ?うまい具合にそれがポロポロ、ポロポロ溢れてたらしくてな、それがもう、延々と続いててさ。あとから来るトラック、みんなでそれ踏みつぶして走ってるわけよ。」
 ぼくには、何故だかその光景がありありと浮かんで来た。
「なんかさ。もう、死ぬしかないって思ったんだよ。1個10円かそこらのもんなのによ。なんでかなぁ、疲れてたんかなぁ。そしたらさ、もう、足が勝手に動いちゃってさ」
 そこまで話すと、中村さんはズボンの左足のすそを持ち上げた。
 道路に突っ伏したままのぼくの目の前に現われたのは、見なれない灰色の脚・・・義足だった。
「運が良かったのか、これだけで済んだんだけどな」
 中村さんは箱を裏返して、定価を確かめた。
「1万円もすんのか。最近のオモチャは高くていかんよなぁ。こないだも孫にせがまれて、ゴーゴーなんとかってのを買いに行ったよ。今なら社販で買えたのになぁ。惜しいことしたなぁ。あぁそうそう、この脚もさ、超合金だから、けっこう高いんだよ」
 ぼくは、中村さんの顔を見上げた。きっと、中村さんの孫という子供も、これと同じ笑顔を見ているんだと、思った。安心した途端に、焼けたアスファルトの熱がぼくの足に伝わって来た、ように感じた。
「それと、クリーニングは、こっそりやっとけ」
「えっ?」

 今、ぼくの部屋には、ボロボロになった『超合金魂/コン・バトラーV』の箱がある。
 事務の人は、返品するって言ってくれたけれど、どうせ買うつもりだったから、ぼくはこれを社員割引で引き取った。
 超合金だから、中身はなんともなかった。

 今でもぼくは「ガンダム君」と呼ばれている。「ウンコたれ」とか言われてないのは、中村さんのおかげだ。
 そして、中村さんにだけは、何故ぼくが「ガンダム」と呼ばれるようになったか、話せそうな気がするのだ。

[この物語はフィクションです]


BANDAI / "Soul of Godaikin" COM-BATTLER V


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