No.11 / Vol.12 「スカトロイド」

 まずはじめに断わっておくが、おれは頭がおかしいわけでも、変な空想癖や虚言癖があるわけでもない。
 いたって普通、いやまあオツムの方は人様に自慢できるほどの出来ではないが、精神面ではすこぶる健康だ。右足のじん帯を傷めるまでは、わが金沢学院大学剣道部の副主将として北信越大会でもいいとこまで行ったぐらいなのだ。酒はそれなりに好きな方だが、おぼれるほどではないし、剣道やってたから人以上に礼儀はわきまえてるつもりもある。快食快便、五体満足、責任感は強いし、いたって社交的だ。こんなおれなのに、ただいま彼女募集中なのだ。
 話がそれた。何が言いたかったかというと、おれは決して異常ではないということだ。
 なんでそれを断わっておかねばならないかというと、これからおれが語る話が、かなり異常だからである。

 あれを最初に見たのは、去年の梅雨時のころだから、もう1年も前のことだ。おれの住んでいるアパートは、もともとおれの姉貴が星短への通学用に借りていたもので、姉貴の卒業と入れ代わりにおれが引っ越して来たのだった。築十年に満たないこじゃれた外装と、姉貴が残して行ったファンシーな家具は、まさにおれとは不釣り合いそのものであった。
 そんな部屋のトイレに、便所の神様がいたのである。
 うちの田舎には「ぽっちょんさま」という便所の神様の言い伝えが古くから残っていて、それは便器の中から現れて家人に汚い便所を掃除させるという、よくある教訓めいた迷信なのだが、こんなハイセンスでアーバンチックな部屋のピンクの便器の中から、そいつは現れたのだった。
 それを何と表現していいか、オツムの弱いおれにはボキャブラリーが足りないが、ひとことで言うなら、それは「うんこ」そのものであった。正月とかでしかテレビで見ない芸人の「レッドスネーク、カムカム」とかいうヘビの芸を知ってるなら分かりやすいだろう。あのヘビとちょうど同じくらいの太さのうんこが、口をぱっくり開けてしゃべるわけだ。そう、そいつはこともあろうか人間の言葉を話すのだ。おれはオウムや九官鳥以外に人語を話す生物を知らない。ましてやちょっと刑事コジャックみたいな声で渋く語るものをや。まさしくそれは人知を越えた生物なのであったし、おまけに鼻がひん曲がるほど臭かった。

 最初、そいつは便器の底でもごもごとうごめいているだけで、おれはふと穴から出られなくなったサンショウウオのことを思い出した。ただ、水を流すといつも一緒に流れてしまっていたので、それほど気には止めなかった。
 そのうちに水面からにゅっと顔にあたる部分を持ち上げて、辺りを見回したり、おれの自慢のイチモツにしげしげと見入ったりしていた。普段はどこに隠れているのか知らないが、気が向くと現れ、相変わらず水を流すと去って行った。そして、いつの頃からか色々としゃべり始めたのだ。
 おれは新種の「どっきりカメラ」か?などと思ったりもしたが、水洗便所のパイプの構造上、とても人間の手が入るとは思えないし、ロボットのような機械仕掛けかどうかを調べるには、とても触る勇気が無かった。
 なんだか平然と語ってはいるが、その裏に何度となくおれの驚きがあったことは一応付け加えておく。
 実を言うと、おれはそいつとの生活にすっかり馴染んじゃったのである。

「どうした秀一、浮かない顔して。学校で嫌なことでもあったのか?」
「親父みたいな聞き方するなよ。おれだって悩みぐらいあるさ」
「どんな悩みだ?」
「とても言えないね」
「何を悩むことがある?何に遠慮する必要があるんだ?自分の思うように好きにやればいい。やりたいようにやって結果が出なくても、それはそれで満足だろう」
「ばか言え。人間関係は、そんなに単純じゃないんだ」
「・・・そういう悩みか。恋愛関係だな、さては」
「誘導したな。ずるいぞ、あんた」
「それなら簡単だろう。さっさとこいつをぶちかましてやれ」
「触るなよ、臭いがうつるだろ。・・・あんたは哲学語るわりに下品でストレートすぎるんだよ」
「いいか、オスがメスに惹かれるのは原始的な衝動で、それを・・・」
「分かった分かった。あんたは天涯孤独の身だから、そんな風に言えるんだ。恋愛の対象があれば、少しはおれの気持ちも分かるはずだよ」
「・・・まあいい。で、相手は誰なんだ?」
「つきあたりの角部屋の、庄内さおりさんだ」
「ふうん。またずいぶんと手短に済ませたもんだな」
「だから、運命的なんだろうが」

 姉貴の後輩にあたる星陵短大の1年生だった。若草色のカーディガンのよく似合う、清楚で、そよ風のようなひとだった。
 彼女が引っ越して来てから気になってはいたのだが、ケガで毎日早く帰るようになってから頻繁に顔を会わせるようになり、遂におれの心は彼女の独占状態になってしまっていたのだ。
 だが、悲しい事実も判明した。彼女にはもう付き合っている野郎がいたのである。

 それからしばらくして、便所の神様が久しぶりに現れた。
「おい、喜べ。どうやら彼女は相手と別れたらしい」
「な、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「それに、彼女はまだバージンだぞ」
 言葉の内容には少しニンマリしたものの、おれは憤りを押さえることができずに、掃除用のブラシでそいつを便器の底に叩き付けた。ぐにゃりと妙な感触があって、ゴボゴボと溺れる音がしたが、かまうものか。どうせ相手は人間じゃないのだ。
 やがて、そいつはしずしずと配水管の奥へ消えて行った。

 その翌日、リハビリセンターからおれがアパートへ戻ると、玄関並びの廊下の向こうから、なんとその彼女が駆け寄って来てオレにしがみついた。トイレの水が溢れて止まらないのだという。おれはそれを聞いて直感した。それは、きっとあいつの仕業なのだ。
 おれは運命の筋書きに沿って彼女の部屋に上がり込み、トイレをうかがった。水は水洗タンクからではなく、明らかに下水から吹き出していて、向いの風呂場まで水浸しになっていた。そして、おれの期待通りに、少しいじっただけで水は止まったのだった。
 その後、彼女と拭き掃除という初めての共同作業をこなし、彼女の手料理をごちそうになったのは言うまでもない。しかもいい雰囲気で。その上、明日はおれの部屋で、おれの手料理を食べようという約束まで取り付けてしまったのだ。
 おれは部屋に戻るなり、さっそく掃除を開始した。なにしろ2年前におふくろが部屋を訪れて以来、一度も掃除をしていない。改めて見ると部屋はすさまじく散らかって汚れていたが、徹夜でやれば明日には見違えるほどきれいになるはずだ。
 そして、信じる力と愛のパワーが合体して、朝日が昇る頃には確かに見違えるほどきれいになっていたのである。
 もちろん、謝罪と感謝の意を込めて、トイレも念入りに掃除したのだが、なぜか便所の神様は姿を現さなかったのだった。

 次の日、おれは約束通りに彼女と駅前で待ち合わせ、近所のマルエツで夢のお買い物デートをした後、部屋に戻って来た。出かける前にホコリやクズが落ちてないかチェックしたし、お部屋コロンスプレーも念入りに吹いて、準備は万端のはずだった。
 ところが、おれたちを待っていたのは、まるで部屋中にうんこを巻き散らかしたような、ひどい汚れと悪臭であった。彼女は一瞬「ひいっ」という引きつけを起こして卒倒し、おれが慌てて閉めた扉に両足を挟んで全治2週間のねん挫を負った。イタリア製のスカートはクリーニングに1万円もかかるほど汚れ、おれを変態と恐れた彼女は、ねん挫が完治する前にアパートを引き払ってしまった。
 つまりその瞬間、おれの恋は見事に終わってしまったのだ。

「今までどこに行ってた?あれ、全部おまえの仕業だろう?おれ、泣きながら部屋の掃除したんだぞ。大屋には出て行けって言われるし。分かってんのか?それとも、ここまでやるのがおまえの復讐だったのか?」
 久しぶりに現れたそいつは、妙にはっきりと生物然としてきたように思えた。口の両側のくぼみに目らしい突起が浮き出して見える。しかも、今まではただの筒状だった胴体には、明らかに小さな腕らしきものも生えていた。
「・・・そんなつもりはなかった」
「じゃあ、どういうつもりなんだよ?おれ、近所じゃスカトロとか言われて、変態扱いされてんだぞ。もう外を歩けねえよ」
「・・・あれを、どこへやった?」
「あれって、何だよ?」
「そこにあったろう?女神の像が」
 か細い腕が差した方向には、トイレ用洗剤を並べてある小さな棚があった。
 そこには、姉貴が残して行ったバービー人形が飾ってあったのだ。子供向けの「しつけごっこ」とかに使うやつで、人形好きの姉貴もさすがにこれは要らないと思ったのだろう。飾るというより、面倒臭いからそのままになっていたというのが正しいが、おれは彼女に変な趣味があると思われるのを避けるために、それを前日にしまっておいたのだった。
「じゃあ、おまえ、それを探して・・・?」
「・・・歩けるようになったからな。見ての通り、腕も生えて来た。わたしは進化している。もう、ここでは暮らせない」
 おれはその言葉に、はじめて恐怖を感じた。人間以外のものと接している現実に、あらためて気付いたのだ。
「おまえに迷惑はかけない。だから、あの女神像を、わたしにくれないか」
 おれは恐る恐るトイレを出ると、押し入れに詰め込んだ雑多なゴミや服の中から、件の人形を掘り出した。どこから見ても女神には見えないが、人間以外のものの美意識がどんなものか、おれには知る由もない。
 そいつは両腕で器用にそれを受け取ると、おじぎをするように身体をゆっくりと曲げた。
「もう、おまえに会うことはない。わたしはおまえから人間に対する様々なことを知った。楽しかった。ありがとう」
 そう言うと、便所の神様は、大きくうねるようにして下水の中へと消えて行った。飛び散った水が天井にまで届いた。辺りには、ただうんこの臭いだけが残っていた。

 おれはこの話を信じて欲しいとは思わない。だが、おれの部屋のトイレが臭いのには、こういう理由があるのだということだけは分かって欲しい。
 なぜなら、そいつはまだ、うちの便所に度々現れるからなのだ。

[この物語はフィクションです]


MATTEL / Kelly in Restroom


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