No.13 / Vol.18 「Intermission」

 医者に『過労』とだけ診断されたぼくは、病気でもなんでもない、ただの疲れた貧乏人だった。もっとも、実際に足りなかったのは金よりも血液ということなんだろうが、血や肉の元になる栄養素を得るためには、やはり必要なものは経済的な余裕というわけだ。
 今日、仕事中に貧血という情けない症状を起こして倒れたぼくは、1本の点滴分の費用と1回分のバイトの予定を失い、同情と特選和牛肉(ステーキ用800g)を得ることになった。もっとも、特選和牛肉がぼくの身体の一部になる前に、同情は失望へと変わったらしいけれど。

「こんな生き方してると、ほんとに死ぬからね」
 マヤは大きなため息をついた後、台所に置かれた『それ』を見上げながら呟いた。心配のあまりに言い聞かせるような強い口調ではなく、明らかに呆れた態度だと分かる。『それ』によって圧迫された空間は、それだけで人を威圧するに充分だったし、一方で、決して新しくなく丈夫でもない我が家の台所の床板は、既にその重みのせいで悲鳴が聞こえて来るほどの歪みを見せていた。実際、呆れない方がおかしい。だからマヤの反応はしごく当然のものだ。
 『それ』は今週すっかりハマって買い漁ったペプシコーラの500mlペットボトルの山、具体的には24本入りケースが37個分が積み上げられた、とてもアパートの一室に似合わない備蓄在庫だった。もちろんそれは未開封の分だけで、既に中身を飲み終えたり、流し捨てて空になったボトル(これも台所に並んでいる)を含めると、千本に届く程の量はあるかもしれない。
 日本のペプシコーラが独自に展開した『スターウォーズ・ボトルキャップ』のキャンペーンに、ぼくは見事に踊らされたのだ。おそらくハマり度合い的に、個人レベルでは国内でも上位に食い込むはずだ。決して自慢にはならないけれども。
「どうするつもりなの、これ?」
「とりあえず、恐怖の大王が降ってきても、水不足にだけは対応できるかもしれない。あと、コーラ風呂とか・・・押し花とかも作れると思う」
 できる限りおどけて答えてみたものの、マヤはそれに反応することはなかった。
「・・・で、当ったの、結局?」
「・・・当らなかった」
「え?ちょっと待って。これだけ買って、1本も当ってないってこと?・・・じゃないよね?」
「まさか、と思うよね、普通は。でも、甘かったね。現実は厳しかったよ。確率的には200本に1個の割合で入ってるらしいけど、世の中確率じゃないってことだね」
「・・・どうするの、これ?」
 マヤはまた同じ質問を繰り返した。たぶんどれだけ頭をひねっても、納得いく回答を提示することはできないだろう。むしろこっちが訊きたいぐらいだ。
「ステーキ焼くのやめて、コーラで煮込んでみよっか・・・」
「コーラ煮?いいね、それ。もう、あるだけ使っていいからさ、じゃんじゃん」
「こんだけの量が入るナベを用意してから言ってよ。せいぜい2本が限度だね、これは」
 マヤは窮屈な体勢で身をよじりながら、数センチの隙間しかない台所で支度を始めた。抜き足差し足するたびに、床板がみしみしと音をたてる。何か手伝おうかと言おうと思ったけれど、この狭さで邪魔になるのは明らかだったから、ぼくは敷きっぱなしにしてある布団に体育座りして待つことにした。
「普通のおまけで付いてるやつは、揃ったんだよね?」
「8セットできた。あと何個か揃えば、あとその倍はできるんだけどね。C-3POが出ないんだよ、なかなか。ペプシのオフィシャルサイト見ると混入率は全部同じって書いてあるけど、たぶんウソだな。あれだけプラ成型でメッキかけてあるから、数量違ってもおかしくないしね。あ、C-3POってさ、コンビニとかで袋の上から触ると簡単に分かるんだよ、だから。他のより硬いから、曲がらないんだよね」
「コウズでまとめ買いしてるんじゃないの?」
「とりあえず、1日5本に留めてはいるけど、コンビニでも買ってる。あ、そこのローソンでは箱でも売ってくれるしさ」
 台所から、マヤの返事はなかった。これ以上話しても、呆れさせるだけだと分かって、ぼくも口をつぐんだ。

 ぼくはコーラ煮というのを初めて食べたけど、普通のタンシチューみたいな感じで、期待してたほどコーラの味はしなかった。お約束というか、当然のようにぼくらは食後にコーラを飲んでいて、ぼくは2本目だが、元々あんまし炭酸が好きじゃないマヤのボトルはほとんど量が減っていない。
「一応、病気なんだから、コーラは止めたら?」
「しょうがないよ、飲まなきゃ。それに病気って言ったって疲れてるだけなんだし、糖分採ってれば大丈夫」
「お金、相当使ったでしょ?」
「・・・うん。今月ピンチだな。ただ、ダブったセットは売ればいいし・・・笹塚の「てんぷく屋」だと1セット5千円で買い取ってくれるらしいから。それに、上井や松岡も欲しがってたし、マヤも要るだろ?」
「そういう問題じゃなくて・・・だってコーラだけしか買ってないでしょ?何か食べてる?」
「昼は、バイト先でちゃんと食べてるけど。まあ、そんなに・・・」
「なんでオモチャのためにそこまでするかなあ。死んだら、元も子もないでしょ?」
「死なないよ。死にそうになったら、こうやってピンチ信号出るわけだし。それに、マヤだって食事切り詰めて買ったりしてんじゃん、高いバービーとか」
「あたしは社会人だからいいの。元から小食だし、切り詰めるって言ってもダイエットしてるぐらいのもんだから」
「ダイエットするような体型じゃないじゃん・・・」<ちょっと計算入った台詞だ。
「・・・心配するだけ、無駄だね」
 その言葉が、ぼくらの間の空気を険悪モードに変える引き金だった。
「心配されるような筋合いじゃないよ」
「じゃあ、どういう筋合いなんだろうね」マヤはうつむいて、絞り出すように言葉を続けた。「あたしたちって、いったい何なんだろうって、ずっと考えてた。ここんとこ、ずっと。全然はっきりしてないんだよね、そのへん。だって、あたしは康平から何も言葉をもらってないじゃん?」
「言葉ってさ・・・」
「別に、言葉が欲しいわけじゃないよ。頼ってるわけじゃない。けど、なんていうか、最近空回りしてるのが分かるんだよね、自分が。あたしの役割って、何なんだろうねって、思う」
「そういうんじゃないだろ」
「え?」
「役割とか、そんなの決められないだろ?・・・オレはそうやって、束縛したくないし、されたくもない」
「違うよ。だって、あたしには康平のためにできることがある。それを、したいと思ってる」
「じゃあ言うけど、オレはマヤのために、何もできない。少なくとも、マヤの願いをすべてかなえることはできない。悪いけど」
「違うよ。違うんだなあ・・・」
「もう、いいよ。なんか、揚げ足とってるだけのような気がしてきた」
「・・・やっぱ、全部あたしの思い込みだったのかな、もしかして」
 ぼくは言葉を接げなかった。考えれば考えるほど、この状況に相応しくない言葉が頭に沸いてきた。
「否定もしないんだね」
 マヤはそれだけ言うと、台所へ向い、居間と台所を隔てているフスマをぴしゃりと閉めた。洗い物でもしているのか、しばらく水道の流れる音がして、それっきりまったく無音になった。

 昼夜を問わず様々な車の行き交う国道から、ほんの1本だけ筋を入ったところにあるこんなアパートでさえ、これほど静かな夜を迎える日もある。ぼくと、マヤの、押し黙った空気に気を使うように、すべてのものがその気配を絶っているようだった。
 机の上には40もの人のかたちをしたものが並んでいる。それ以外にも、この部屋には人のかたちをしたものが無数にある。にもかかわらず、とてもひっそりしていた。人形は喋らないのだと、当り前なことをぼんやりと考えた。
 トイレに行くことを口実に、ぼくは重い壁を開いて台所に入った。灯りはついたまま、マヤの姿がいつの間にか消えていた。ふと見ると、ゴミ箱の脇のダブったボトルキャップを入れた段ボール箱の上に、ぼくの部屋の合い鍵が、マヤのお気に入りのリカちゃんキーホルダーが付いたまま置かれていた。
 その鍵の重みで、ぼくの胸がみしっと音をたてた気がした。

[この物語はフィクションです]


PEPSI / "STAR WARS" Bottle Cap


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