No.17/Vol.14 「no thank you」

 なにも、すすんでオトナになろうと思ってたわけじゃない。できればずっとコドモのままでいたかったし、いられると思っていた(もちろん、カラダはそういうわけいかないし、逆にもっとオトナっぽくなりたいと願ってたわけだけど)。それはたぶん、心というか、むずかしく言うと精神的なところでは、本当はコドモとオトナの境界線みたいなのって無いんじゃないかと思ってたからだ。
 でも、それは違ってて、あたしは今日、はっきりとその境界線を越えてしまった。

「あー、これー、超ほしいんだよなーちくしょー」
「えー何ー?」
「これこれー、トイズマッコイ?のインディジョーンズ?これさー、すっげリアルだしさー、オレほらインディジョーンズ好きじゃん?だからさー、マジ欲しいんだけどさー、超高えんだよなーこれ、ちくしょー」
「えーいくらすんの?」
「3万6千。たっけーだろ?でもさー、買えねー値段じゃないけど、オレほらこないだMD買ったじゃん?だからさー金なくてさー」
「だって人形でしょ?なんでそんなにすんの?」
「バカおまえ知んねーの?これマジでレアなんだー。装備品とかすっげ凝ってるしさー、ほら本革使ってるって書いてあんじゃん。本物だとさー、やっぱ高えんだよなー。限定3000個ってさー、すぐ売り切れんだろーなー。3千円とかだったらすぐ買えんだけどなー、ちくしょー」

 順也がそれを最初に欲しいと言ったのは、こないだ学校帰りに池袋へ行った時のことだ。サンシャインの地下のロッテリアで、順也はあたしに雑誌を見せながら、何度も「チクショウ」と言った。順也は気付いてないかもしれないけど、あたしはその「チクショウ」って言葉と、それを言ってる時のくちびるをちょっととがらせた順也の顔が嫌いで、だからあたしは何とかそれを順也に買ってあげたいって思った。どういうわけか、そう思ってしまった。
<ちょうど来月には順也の誕生日があるし、去年あたしがもらったシルバーの指輪とはつりあいが取れないけど、まあいっか。
 順也はそういうフィギュアとかを集めるのが趣味で、あたしはそれを最初ちょっとオタクっぽくて嫌だなと思ってたけど、順也に色んな雑誌を見せてもらったり、原宿の店とかに連れてってもらってるうちに、ちょっとカッコいいかなって思うようになった。ちょうどあたしが好きな加藤晴彦もフィギュア集めてるってJUNONに書いてあって、そこに載ってる写真のフィギュアがたまたま順也と一緒に買いに行ったやつだったから、それも大きかったのかも。
 3万6千円の出費はかなり痛いけど、今年のお年玉はその倍ぐらいもらって、まだ手つかずでいるし、銀行にはそのさらに数倍の貯金があるはずだった。だってあたしは毎年もらったお年玉を、ちゃんとママに預けるイイ子供だったんだから。

 それが甘かったと気付いたのは、順也が教えてくれた発売日の、前日のことだった。
 あたしのママは南浦和で小さなスナックをやってて(文字通り「ママ」だ)、女手ひとつであたしとお姉ちゃんを育ててくれた。そのことには感謝してるし、お姉ちゃんと違ってアタマの悪いあたしは、ガッコ卒業したら店に出て2代目ママになってやろうとも思ってた。だからと言って、あたしの貯金(そんなもの存在すらしなかったんだけど)を使い込んでいいわけない。でも、あたしのママはそんな人だった。あたしはまんまと17年間裏切られ続けてたんだ。
 確かにもらったお金のほとんどは店の常連さんがくれたものだけど、まちがいなく、それはあたしのお金だったのに。
 ただ、頭を下げるママを見てるうちに、あたしはなんとなく仕方ないなと思っていた。店が繁盛してるわけじゃないし、今ママが付き合ってる人って、ちょっと貧乏そうだし(ネクタイのセールスやってるって言ってたけど、そんな商売聞いたことない)。そういえば、お姉ちゃんが付き合ってる(不倫)男も、なんかロクでもない野郎だとママは言ってた。これは、血なのかもしれない。
 あたしは「分かる分かる、ごめんね」とママをなだめて部屋に戻ると、ありったけの全財産を調べてみた。1万4千円しかなかった。明日までに、あと2万2千円プラス消費税を用意しなきゃいけない。そして、あたしはある決意をした。もう、アレしかないのかなって。それはつまり、援助交際のことだ。
 世間一般に言われてるほど、あたしたちの中で援交やってるコは多くないし、やってると噂されてるコはたいてい不良っぽい感じのコばっかりだ。もちろん、そんなことドードーと発表するコもいないと思うけど、少なくともあたしの友達にはそんなコはいない。それに、援交=エッチとは限らないわけだし。
 あたしはふと「ラブ&ポップ」のことを思い出して、本だなから文庫本をとり出して読んでみた。順也の前の彼氏(こっちは本気でオタクだった、そういえば)と見に行った映画館で買ってから、何度も読んだはずなのに、ちょっとだけ心にきた。それから、4月にカゼで休んだ時に買ったレディスコミックも見てみた。特に広告ページを中心に。予習としてはなんかもう充分みたいな感じで、ちょっと気持ちわるくなってベッドに入ったけど、やっぱり胸がドキドキしてしばらく寝つけなかった。

 オトナになるって、どういうことだろう?成人式を過ぎたらみんなオトナ、なんて誰も信じてない。例えばお酒とかタバコとか、オトナにならなきゃやっちゃダメってことでも、割とみんな平気でやってるし、他のオトナは拍手こそしないけど見て見ないふりをしてる。じゃあ経験?やっぱりセックス?たぶん、それも違う。あたしは順也が好きだし、このままいけばエッチすることにもなると思うけど、それで気持ちが変化するとか、そういうことはないと思う。

 次の日、あたしは普通に家を出て、その足で新宿の、順也に教えてもらったフィギュアの店に行ってみた。まだ開店前だったけど、穴場で値段も安いっていうその店で買うことにあたしは決めていた。新宿を選んだのも、ふだん通ってる池袋よりは、知ってる人に会うことが少ないだろうって思ったからだ。
 小雨がパラついてきたから、あたしはまだガラすきのファーストキッチンに入って、ケータイと、昨日レディコミから破いてきたテレクラの広告ページの束をカバンからとり出した。「ラブ&ポップ」では伝言ダイヤルの方がいいって書いてあったけど、あたしは伝言ダイヤルというのをどうやって使うのか知らないし、まさかそれを友達に聞いたりすることも出来なかった。それに、こんな朝早くからテレクラに行ってるような人だったら、絶対に学校関係とか、そういうのは無いだろうって思ったし。普通のサラリーマンってこともないだろうけど、そういう普通の人よりは、イヤらしくない人が多い気がしていた。
 それが甘かったと気付いたのは、3件目の電話を3秒で切った時だった。最初と次のは、まだマトモだった。いきなり「したいの?」って、なに考えてんだろう。おまけにどれもオヤジっぽいっていうか、アブラぎった声で、もう最悪だった。ダメモトでかけた4件目の店(ツーショット)で、ようやくちょっと話のできる人が出た。
 おっとりした、森本レオみたいな話し方の人で、でも最後まであたしの年を聞かなかったのが、すごくポイント高かった。あたしが「エッチなしで食事だけで」と言うと、「何を食べたい?」って聞いてくれて、それだけでも安心できた。6時には買い物をすませたかったから、「5時までに帰りたい」って言うと、その人は「ちょうど3時から5時までしか空いてないから都合がいい」と言った。文句なかった。
 新宿3丁目の、地下にある喫茶店に現れたその人は、声の印象(あたしの希望?)とはちょっと違う、30代前半ぐらいの普通のサラリーマン風だった。スーツはちゃんとしてるけど、妙にクセのある髪がだらしなくハネてて、道を歩いてたらぜったいよけて通るタイプだ。
「最初に断わっておきたいんですけど、食事だけで2万5千円ってことで、いいですか?」あたしはちょっと事務的にことわった。男は「もちろん」とだけ言った。

 そこから後のことは、ちょっとうろ覚えだ。
 地下道から駐車場に入って、男の車に乗せられたこと。車がショボい国産車だったこと。渋谷に向かってると男が言ったこと。着いたところが安っちいホテルだったこと。嫌なら金はやらないと男が言ったこと。4時。男。シャワーの音。男。エッチを1回するのに、10分もかからないこと。2万円しかなかったこと。もう5千円欲しかったら写真を撮らせろと男が言ったこと。顔は隠していいからと男が言ったこと。シャワー。フラッシュ。フラッシュ。・・・・・
 ホテルを出ると、雨は強くなっていた。男は新宿まで送っていくと言ってたけど、あたしはシカトして勝手に外へ出た。
 とにかく、あたしは3万8千円(ちょっと使ったから)を手に入れた。それだけのこと、だった。

 新宿駅に着いてから、地下道をちょっとだけ走った。6時を、もう30分くらい回っていた。売り切れてても、別の店を探してる時間はないし、だいたい、そんなに店を知ってるわけじゃない。走ってると、やたら下着が気になった。さかさまに着てるような、自分のじゃないような感じだった。それを気にしてたら、あたしはずるんとすべって、尻もちをついた。痛くはなかったけど、地面についた手のひらとお尻が冷たくて、地下道なのになんで濡れてるんだってことにすごくムカついた。
 店の中はすごく混んでて、あたしは最初それを探すのに困ったけど、結局インディジョーンズはまだ売れ残っていた(でも、最後の1個だった)。色々あったけど、これがあればいいと、あたしは思った。それだけで、良い思い出にだってできると思った。  それが甘かったと気付いたのは、レジのカウンター前に並んだ時だった。カウンターの中でレジを打ってる店員こそ、ついさっきまで一緒にいて、今は絶対に思い出したくもない、あの男だった。クセ毛が湿気のせいでべっとりと頭にはりついてたけど、間違いない。いや、湿気のせいじゃないのかもしれない。
 あたしと同じ瞬間に、男もあたしに気付いたようだった。あたしは男の顔を見れなかったけど、男がニヤニヤしながらあたしを見下してるのがわかった。あたしは、さっき男から受け取った札の混じったお金を、1時間ちょっとで、また同じ男に手渡すことになったのだ。

 雨の中を、あたしは歩いている。スニーカーが水をふくんで、グジュグジュと嫌な音をたてている。インディジョーンズを入れた袋を、カバンと胸の間で大事に抱えて、あたしはそれでも濡れたまま歩きたかった。どれだけ歩いたか、もう分からない。さっき道路標識に「池袋」とあったから、方向は間違ってないはずだ。
<順也に電話しなきゃ。買えたよって。ちょっと早いけど、誕生日のプレゼントだって。お年玉、残しておいたから、買えたんだよって言おう。ママがちゃんと貯金してくれてるからって。
 その時、ケータイが鳴った。あたしは、もう甘い考えを持つのはやめた。

「なぁ、おまえ、アレが欲しかったのか?だったら、オレに言ってくれれば良かったのに・・・。あのさ、ケータイのさ、番号通知してあるでしょ?あれ、教えてくれるんだよ、店に頼むとさ・・・」

 あたしはオトナになるってことがどういうことなのか、たった一つだけだけど分かった気がする。オトナになることは、今まで見なくてもよかったものを見なきゃいけなくなることだ。聞かなくてよかった言葉を聞かなきゃいけないことだ。何も知らなくていい時代がコドモで、それを過ぎたら、あたしたちは何もかもを受け入れなきゃいけないオトナになるのだ。
 あたしは、たぶん、コドモ時代の最後の抵抗として、ケータイとインディジョーンズを思いきり地面に投げ付けて、それが泥の色に染まるまで両足でふみつぶしてから、山手線の線路に放り込んだ。

[この物語はフィクションです]


TOYS Mc'COY / Indiana Jones from "Raiders of the Lost Ark"


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