No.18/Vol.16 「Love Melody」

「結婚しよう」
「いいけど・・・でも、今すぐには無理だと思う」
「いつならいい?」
「もっと大人になった頃じゃないかしら」
「そんなに待てない。待ったって、意味ない」
「どうして?」
「またいつ向こうに帰るか、分からないんだろう?」
「たぶん、それはもうない。ママはこっちでお仕事するって言ってたから」
「大人の都合は、分からないよ・・・それに、待っても待たなくても、どうせ結婚するのなら一緒じゃないか。ぼくの気持ちは永遠に変わらないんだから」
「永遠って、何年?」
「・・・100年ぐらいかな」
「そんなに生きていられないわよ。あなたって、本当に子供ね」

 確かに、ぼくたちは永遠を語るには幼すぎるのかもしれない。ただ、今の自分の気持ちが真実である以上、たとえ途方もない未来のことであっても、ぼくには約束を誓うだけの勇気があった。
<ぼくときみは、同じユリ組なのに。
「タカネくん、いま何円持ってる?」
「あと、140円ある」
「じゃあ、もう、おうちに帰れないよ」

 ぼくらはその日、二人だけの世界を夢見て旅に出た。
 旅の資金のために、ぼくは父親のコレクションの中から一番高そうなものを選んで盗んだ。どれほど価値のあるものか分からないが、それを手に入れた父親の喜んだ姿をぼくは見ていたし、この街にはそれを高く買い取ってくれる店があることも知っていた。ただ、無理解な店の主人にぼくらは無下に追い出され、資金を手にするどころか、そこまでの交通費で手持ちが底をついてしまい、立ち往生してしまったのだ。
 駅前のロータリー際のベンチで、ぼくらはもう小1時間も途方に暮れていた。
 辺りはまるで馴染みのない風景だった。まだそれほど遠くまで来たわけでもないのに、通行人がまるで異国の人間のように思える。少なくとも、ぼくらを知っている人間は誰もいない。
<この街に住むのも、いいかもしれない。
<最初は小さなアパートでいい。暮らしていけるだけのアルバイトを探して、あとの時間はずっと美里と過ごしたい。誰にも邪魔されず、うるさく言われず、片付けもしなくていい部屋に住もう。

 そんな思いを巡らせているうちに、僕らは声をかけられた。それは、先の店で見かけた制服姿の警官だった。場違いな雰囲気を感じていたが、きっとぼくらはその時からマークされていたに違いない。もしかしたら、コレクションの紛失に気付いた父が差し向けた追っ手かもしれない。いずれにせよ、それが旅の終わりを告げたことに違いはなかった。
 ぼくは思わず天を仰いだ。厚い雲がどんよりと腰を据えて、今にも雨だれに顔を打たれそうな錯覚がした。空と同じ色のビルの屋上に立ち並ぶ色とりどりの看板の中で、『アイフル』という文字だけがぼくらを寂し気に見下ろしていた。赤い色は好きだ。何屋の看板なのかは知らないけど。
 ぼくと美里は、駅の反対側の出口にまわった交番に連れて行かれた。交番に入るのは、初めてだった。それほど広いとは思えない敷地の中に、それでも2つの小部屋があることを示す2つのドアがあるのが意外だった。

「たかみね・・・てつじ君か」
「タカネテツハル、です」
<こいつ、警官のくせに、漢字も読めないのか。
「キミは?」
「金杉、いや、大町美里。同じクラスの」
 美里はさっきから黙り込んで答えようとしなかったので、ぼくが代わりに答えた。名字を間違えたのは、うかつだったとしか言い様がない。ともすれば美里ですら誤りがちな、慣れない名字だけに仕方なかったのだが、この段階で警官に疑われることは、これから先に控えている「必要な嘘」のために大きな支障となるだろう。もちろんその嘘とは、ぼくらが家出してきた事実を隠すためのものだ。
 美里がなぜ黙っているのか、ぼくには分からない。怒っているのか、悲しんでいるのか。ただ、美里がぼくと同じ気持ちだとすれば、彼女はきっと悲しんでいるのだ。ぼくらの逃避行が、ここで終わりを遂げたことに。
「なんか元気ないな。子供らしくないじゃん」
<どうやら、取り越し苦労だったようだ。こいつはちっとも疑っちゃいない。子供が全員元気で天真爛漫だと思ったら大間違いだ。それに、「じゃん」って何だよ?「じゃん」って。
「キミら、良い感じだよね。恋人同士?」
「一応・・・」
「へぇ、やるじゃん。で、あそこで何してたの?」
「休んでました。美里が、疲れたって言うから」
「キミ、さっき、あの店に来たよね?」
「はい」
「キミがお金に替えようとしてたこのオモチャ、これはキミのじゃないだろ?」
「ぼくのです」
「キミが遊ぶようなものには見えないけどな。まぁ、対象年令には入ってるけど」
「・・・・・」
「SWAT好きなんだ?」
「・・・ええ、まぁ・・・」
「良く出来てるよなぁ、これ。俺も欲しかったんだけど、ちょうど買えなかったんだよねぇ。どこで買った、これ?」
「相模大野の、トイザらスで」
「ふぅん、じゃあ運良かったんだなぁ。俺が亀戸行った時はもう売り切れててさぁ」
「あのー・・・」
「これを売って、どうするつもりだった?」
「・・・話さなくていい権利、あるでしょ」
「黙秘権ってこと?あはははは。いいねぇ。いいよ、話さなくても」
「もう帰ってもいいですか?ちょっと急ぐので。これ、任意同行ですよね」
「すっげー難しい言葉知ってるなきみは。テレビで見たのか?・・・じゃあこっちも難しく話してやろっか。あのな、16歳以下の少年の場合、強制補導つって、保護者に引き渡しが完了するまで身柄をあずかることはできるんだよ。だから、親、呼ぶぞ。来てもらうぞ、しゃべんないんだったら」

 僕はもう何も言えなくなった。付け焼き刃の知識だけでプロに対抗するのは無駄だと悟った。握りしめた椅子のふちの安っぽいビニールの張り革が、そこだけ剥がれているのに気付いて、今までにどれだけの人間がここで悔しさに耐えたのだろうと考えた。  ただ、隣にいる美里は、それに堪え切れなかった。突然、叫ぶように泣き出したのだ。
 その泣き方から察するに「誰かに庇って欲しい」という甘えの現れかもしれなかった。ぼくは美里の肩をそっと抱いて、声をかける代わりに静かに揺すった。でもそれがぼくでは役不足なのか、身体が揺れるたびに美里は鳴き声を荒げた。
「気ぃ悪くした?ごめんごめん。ごめんよー。いや、俺もさ、そんなにうるさく言う人間じゃないんだけどさ。今、色々あって、けっこう勉強してんだよ。警察も色々あるんだよ。ごめんな。なっ」
 警官が美里に触れようとしたから、僕はその手を払いのけた。
「・・・触るな!」
「なんだよ。俺がいじめたみたいじゃんかよ。向こうの部屋にいる先輩に見つかるとマズいからさ。頼むよ」
「触るな!触るな。触るなって言ってるんだ!美里はぼくが守るんだ。ぼくが守らなきゃ美里がかわいそうだから。美里のパパもママもお兄ちゃんも、誰も美里を守ってやろうとしなかったじゃんか。勝手なことばっかして、知らないうちに全部決めて。おまえらみんなそうだ。みんな『色々あって〜』って言うだけで、ぼくらには結果だけしか教えてくれなくて、いつもぼくらが辛い思いをして。我慢して。ぼくも、美里も、『色々』の中に入ってなくて。なんで、ぼくらの言葉を聞こうとしないんだ!おまえらみんな嫌いだ!死ね!ブタ!」

 普段、決して口にしない言葉が声になったことで、ぼくの中で何かが弾けた。
 ぼくは美里に負けないほど大きな声で、泣き出してしまった。
 そのこと自体は屈辱ではなかった。むしろとても自然で、気持ち良いほどだった。

「このオモチャ、俺が買うよ」
 と言うと、警官は財布から千円札を3枚取り出した。
「売りたかったんだろ?だから、俺が買うよ。これで足りるか?足りないか?まぁいいよな、中古ってことで」
 ぼくは手の中にお札をねじ込まれた。
「駅まで送るよ。だから、そこから先は自分たちで行っていい。自分たちで決めたんなら、自分たちで行けるところまで行ってみろよ。オレがオーンショーだ。本当はトロッコ乗せてやりたいとこだけど、中央線の方が遠くまで行けるしな」

 ぼくらは結局、住んでいる地元の駅まで引き返して、駅前のイトーヨーカドーでしばらくゲームとかしてから、「じゃあね」って別れた。ぼくの手元に残った2千円もの大金は、ミクロステーション基地の中に隠して、まだ見つかっていない。
 早く、大人になりたい。

[この物語はフィクションです]


21 century toys / AMERICA'S FINEST "SWAT COMMANDER"


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