No.20/Vol.21 「聞こえない声」

「きっと、ここへ戻って来たかったんですね」
 まだ嗚咽の余韻が残っている正田氏に、私は話しかけました。おそらくその事を最も理解していたのは正田氏本人だったのでしょうが、あらためて言葉になったその事実に、氏は感慨をいっそう深くしたようでした。白髪のうっすら混じった頭が、再び畳に近付き、その向かう先に、無邪気な笑みを浮かべた少女の写真・・・遺影が見えました。
 ・・・正田桃子。
 私は彼女に、ここに呼ばれたのです。

 私には物心ついた頃から特異な体質があって、それに何度となく私は助けられ、また、嫌な思いもしてきました。それは一般的には「霊感が強い」と言われるような「能力」なのですが、何の苦もなくそうした知覚外のものを感じ取れてしまう私にとって、それはひどく当り前な、むしろ普段の生活には邪魔な「体質」でしかありませんでした。だから私は、やはり同じような体質を持っていた母や姉に倣って、それを抑える努力をしてきました。
 それでも、時には、そういった知覚外のものが壁を侵して来るのです。それは文字どおり、訴える力の強さなのかもしれません。

『ひたひたひた・・・』
 夕立が昼間の暑さを洗い流したような涼しい8月の夜、私は床の中で初めてその「音」を聴きました。それはただの雨音のようであり、蛇口から漏れる水滴の落ちる音のようでもありました。グラスに注がれたソーダ水の、炭酸の泡がはじけるほどのか細い音です。気になった私は、台所や洗面所、浴室を一通り覗いてみましたが、水道の蛇口はきっちりと締められていて、水が滴っている様子はありません。
 雨雲が戻ってきたのだろうと納得して再び床に戻ったものの、その陰うつな水音は、一晩中私を休ませてはくれませんでした。
 翌日は終日晴れていましたが、その夜もまた同じことが起りました。私は注意深くその音の出所を突き止めようとして、それが間違いなく居間の中からであると悟ったのですが、不思議なことに居間には水に関わるものが何ひとつ無かったのです。
 結局、私はそれをマンションの壁の中を通る配管から響く音なのだと推測しました。少し神経質になりすぎているのかもしれない、そう思うことにしました。
 けれど、それは誤りだったのです。それこそが、心の壁を越えて届いた、叫びの前兆にすぎなかったのです。

 それから2〜3日経った休日のことです。私が休日の日課になっていた部屋の掃除をしていると、奇妙なことに気付きました。居間に置かれたサイドボードを兼ねた鏡台の天板が、異常に湿っていたのです。白木の棚板はうっすらと変色し、そこに置かれた写真や手紙の束が、湿気で平滑さを失っていました。まるで花瓶か何かを倒した跡のようでしたが、もちろん水気のあるものが置いてあるわけではありません。化粧品のびんも一つずつ調べてみましたが、どこも変わった様子はありませんでした。
 そこで、私はそれに気付いたのです。
<もしかしたら・・・?
 それは、その前週の日曜に行われた古い玩具の販売イベントで購入した人形でした。『秘密戦隊ゴレンジャー』というテレビ番組に登場したヒーローグループの紅一点、モモレンジャーの人形です。
 私は子供の頃、そのモモレンジャーに憧れを抱いていました。私自身が内気で運動神経の鈍かったせいか、その反動だったのかもしれません。かじり付くように毎週テレビを見続け、誰も居ない部屋の中でひとりモモレンジャーに成り切って遊ぶこともありました。お面や玩具等も欲しかったのですが、ただ当時は「男の子の番組」ということで、それを表立って買うことは恥ずかしくて出来なかったのです。
 ある日、気のおけない同僚にその話をすると、そういった古い玩具を扱うイベントが行われているということで、私は彼女に案内してもらいました。そしてようやく、念願だったモモレンジャーの人形を手に入れたのです。それは少し汚れていて、塗装も淡く日に灼けていましたが、私はまるで20年もの間、誰かに預けていたものを受け取ったような気がして、とても嬉しく思いました。そして、部屋の一番目立つ場所に飾っておいたのです。それが、鏡台の天板の上でした。
 私は恐る恐る、その人形を手にしてみました。
<重い・・・!?
 人形はビニール製の中空ですから、それほど重いわけではありません。にもかかわらず、手に取ったそれには中に何かが詰まっているような重みがありました。そして、手のひらにじんわりと冷たい湿り気が伝わってきました。急に総毛立つような感覚があって私がそれを放り出すと、『ぼとり』という音を立てて床に落ちた人形の、腕や腹の接合部分の隙間から、じわじわと水が流れ出て来たのです。まるでお風呂の中で遊んだ後のように、中空の人形の頭の先から爪先までの中いっぱいに、水が詰まっていたのです。
 私はそれを分解して、中をドライヤーで乾かすと、分解したままタオルに包んで洗面所に置いておくことにしました。ビニールの性質の変化で、除湿材のようになっているのかもしれない、そう思っていました。

 その夜、床に就いていた私は例の水音で目を覚しました。その音は普段より大きく、激しく私に響いてきたのです。
 あまりの異様さに音のする方を見ると、分解したはずのモモレンジャーの人形が再び一体となって、床から1メートルほど宙に浮かんでいました。それはゆっくりと近付いて来ました。それと同時に、水音も近付いて来るようでした。そして人形が目前まで近付いた時、私はそれに気付いたのです。その人形を掲げている、びっしょりと濡れた少女が、その後ろに居たことに。

『・・・・・帰りたい』
<えっ!?
 水音に混じって、そう聴こえた気がしました。その声は、濡れた少女が発しているように思えました。
 私は決心して、心の壁を開くことにしました。あくまでも感覚的なものですが、それは本当に扉を開くようなイメージなのです。すると、少女の声がはっきりと私の胸に届いてきました。
『おうちに帰りたいの・・・・・』

「すいません、さきほどお電話した東京の相田小百合と申しますが・・・」
 数日後、私は瀬戸内海にある香川県の小豆島に居ました。「二十四の瞳」の舞台としても知られるここは、名前の印象から受けた私の想像と違ってまったくの観光地で、大阪から出航した関西汽船の船中は、夏休みをこのリゾートで過ごそうという観光客でにぎわっていました。
 訪れた正田家は、山あいの南瓜畑の中に建てられた新しい一軒家で、私を出迎えてくれた正田氏は、私の父と同世代にもかかわらず、肉付きの良い体つきと日焼けした肌を持つ若々しい方でした。

「桃子たちが死んで、もうすぐ23年になります。生きていれば、ちょうどあなたぐらいの年令になっていたでしょう」
「たち・・・とおっしゃいますと?」
「あれは、昭和51年のことですが、ひどく大きな台風がありまして・・・このへんは真砂土と言って、花こう岩が風化してできた地質なんですが、台風にもなるとすぐに土石流を起こすんです。当時、うちはまだもう少し山上にあったんですが、その台風の時に土砂崩れに飲まれましてね・・・。5人兄弟のうち、4人がそこで生き埋めになりました」
「そうだったんですか・・・。ご愁傷様です」
「いえいえ、もう、昔の話ですから。それで、人形というのは・・・?」
「これです」
 私は持参したモモレンジャーの人形を包みから取り出し、正田氏に手渡しました。氏はそれに確かな覚えがあったのか、見るなり大粒の涙をこぼし始めました。
「そうです・・・桃子のですねぇ。よく、帰ってきたなぁ・・・」
「失礼ですが、5人兄弟ということは・・・?」
「えぇ、ちょうど男4人、女1人でね。一番下の息子はまだ当歳で小さかったんですが、生まれた時に上の兄弟たちがやたらと喜ぶんで聞いてみたら、ちょうどこの、ゴレンジャーと同じになったってことだったんですねぇ。それで、一人に一つずつ、この人形を買い与えたんです。それが、遂に桃子のこれだけがどうしても見つからなくてねぇ。東京ですか・・・。きっと、川に流されてしまったんですかねぇ」
「それじゃあ、他の人形は?」
「ありますよ。近所の寺に納めてあります。これも、一緒に納めさせて下さい」
「出来れば、私も立ち会わせていただいてよろしいでしょうか?」
「いえ、そうしてただけると、こちらもありがたいことです。その、末息子がいま畑に出てますんで、昼に帰ってきてから参りましょう」

 私は、正田氏とその災害を逃れたという末弟とで、人形が納められているという寺へ向かいました。そこには当時の災害で命を落とした方々のための慰霊碑が建てられ、数多くの遺留品が残されているということでした。
 応接間に通された私たちに寺の住職が持ってきた箱の中には、確かにモモレンジャーを除く4つの人形が入っていました。
 本来なら生存している末弟のものであるミドレンジャーもあって、本人はさすがに複雑な表情でしたが、それでも5人の兄弟がようやく揃えたことに感激しているように見えました。
 私は正田氏にすすめられて、自分の手で人形を箱の中に納めることにしました。心なしか、ふと人形が軽くなったような印象を感じました。

 その帰路で、修練衣の人たちに何度も出会ったので訊ねてみると、この小豆島にも四国と同様に88箇所の霊場があって、いわゆる「お遍路」が行われているそうです。
 私は夕方の出航に時間が許すまで、それに倣って島を少しだけ歩くことにしました。

[この物語はフィクションです]


BANDAI / "GORENGER" mini-soft vinyl doll


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