No.28/Vol.30 「師走の頃」

 月めくりのカレンダーが残り1枚になって、オイルヒーターの上で心細げに揺れている。芯から破り取られた分だけ月日は過ぎたはずなのに、通知表作りに追われるこの時期になると、決まって「あっと言う間だったな」と思う。
 夏が長い間居座り続け、秋を感じる暇のなかった今年はことさらだった。半袖で過ごす児童を、つい先日まで見かけていた気もする。暖かい日が続いたとはいえ、陽の落ちる時間は日々早まって、放課後にはヒーターの効いた職員室が恋しくなる。学級開放の一環で、壁や扉が取り払われた室内では、あまりその効果は期待できないのだけれど。
 カレンダーの芯に小さく残った切れ端は、7月ごろだろうか。あの頃は何があっただろう。

「直子先生、ちょっといいですか?黄山美智雄のことなんですけど・・・」
「また、出て来なくなった?」
 座っている私が見上げても、長身の根木小枝子先生はなぜか小さく見えた。どちらかというと大人びた顔だちで、十歳以上も歳上のはずの私と比べても風格で劣るところは無いのだが、胸に抱えた出席簿を見つめるようにうつむいた顔に、今ははっきりした不安が見て取れる。
 黄山美智雄は、前年は私のクラスにいた。この学校では2年おきにクラス替えがあるものの、基本的に担任は繰り上がりで、要するに教師はその学年の児童を1年から6年まで受け持つことになる。けれど、件の黄山美智雄は私の受け持つ学年ではなくなっていた。不登校で出席日数が足りなかったため、留年措置になったのだ。臨教審のはたらきで、現在ではよほどのことがない限り児童の留年措置は行われない。多くの場合、年度末に実施される実力テストを受けさえすれば進級が認められるのである。黄山美智雄はそのテストを拒み、自らの意志で留年を選んだのだった。今年の3月のことだ。
「9月までは調子良かったんですけど、10月からは全然・・・何回かお宅にもお邪魔して、本人にも会ってはいるんですけど」
「今、いじめとかはない、クラスに?たとえ本人に対してじゃなくても、状況的にそういうのあるとナーバスになる子もいるけど?」
「と、思いますけど。やっぱり、本人に意欲が見られないというか・・・」
「やっぱりそうか・・・。いいじゃない、あの子は。たぶん、世の中には学校というものを必要としていない子供がいて、あの子はきっとそういう子なのよ」
「そんな・・・本当にそれでいいんですか?教師として、無責任すぎませんか?それに、進級試験を受けなくてもいいっておっしゃったの、直子先生だって聞いてますけど?」
「そうよ。それが一番いいと思ったから。・・・責任かぁ。そういう風に感じちゃうと、あの子とは難しいんじゃないかな」
 私は目尻を吊り上げた根木先生を見ながら、ちょうど1年前のことを思い出していた。たぶん、あの頃の私も、こんな感じだったのではなかったかと・・・。

「何読んでんだ?」風呂上がりのステテコ姿のまま、主人が寝室に入って来た。
「あぁ、ごめん。パジャマね、すぐに出すから」
「また、あの生徒のこと?」
「うん。何か参考になればなって思って、児童心理の本、何冊か借りて来た。あなたの好きな吉岡たすく先生のも」
「おう、あの人の言うことは参考になるぞ。おまえも教師なんだったら、あの朝の番組見なきゃだめだな」
「休みの日ぐらい、ゆっくり寝たいもん」
「三十路過ぎて『もん』はやめろ、『もん』は。・・・でもなぁ、本なんかで役に立つもんかね?あぁ、俺が一発ガツンと言ってやろうか?今度うち連れて来いよ」
「体罰は厳禁です。でも、うちに呼ぶのはいいかもしれないね。おもちゃも一杯あるし」
「商売道具に手を出すのも厳禁なんだけど」
「あら、そうなの?」
 主人は古いおもちゃを扱う古売店を経営している。元々おもちゃが好きで、趣味で集めているうちに売るほどたまっていたから店を開いたのだが、当の趣味の収集物は一向に減る様子はない。むしろ以前よりも増えているかもしれない。
「懐かしいな。箱庭療法ねぇ・・・」
 見ると、主人がベッドに横になって、積み重ねてあった本のうちの1冊を手にしていた。
「精神科医のバイトもしてたの?」
「いや、大学の頃にさ、医学部の教授からの依頼で、箱庭療法に使うミニチュアを作ったことがあるんだよ。普通そういうのには、なんでもない白い積み木とかを家具とか壁に見立ててやるらしいんだけど、試しにリアルなミニチュアを使ったらどうなるか実験したかったらしい。知り合いの美大のやつとかにも頼んで、考え付く限りのものを作ったよ。中に一人凝り性のやつがいてね、小指の先ぐらいの新聞紙とか、ハナクソみたいな茶碗とかまで作って来てさ」
「ちゃんと使えたの、それ?」
「それが、意外な使い道があったらしい。本来は箱庭の中に客観的に見た自分を見つけ出させるのが箱庭療法の基本なんだけど、あまりにリアルにしたもんだから、逆に自分をそこに見いだせなくなったらしいんだな」
「じゃあ、だめじゃん」
「ところがな、精神病の治療には『物語治療』ってのがあって、つまり患者に自由な発想で物語を作らせて、その中から無意識下の欲望とかストレスを発見してやるんだけど、そっちに効果があったらしいんだよ。要するに、いきなり『何か物語を書いて下さい』って言われても、なかなかすぐには書けないもんだろ?そこに一つの方向性、この場合は架空の家を見せてやって、物語を作りやすくするわけだな」
「ふうん。私とかだと、サザエさんみたいな話とかしか出て来ないかもしれないなぁ」
「別に話が良く出来てるかどうかは問題ないんだよ。結局、そこから当人の深層心理を読み出すのが目的なわけだから」
「そういうの、やってみようかなぁ」
「その、学校出て来ないって子供にか?」
「うん・・・。本人は悪い子じゃないし、責任感もあって、勉強もよく出来るの。ちょっと運動は苦手だけど、太ってるからね。そういえばあなた最近お腹丸くなってない?でも、コンプレックスになるほどのものじゃないと思うし。ただ、学校には出て来れなくて、そのせいで本人も気に病んでるのよ。何が原因だか、さっぱり分からないの」
「そうだ、今日、買い取ったものがあるんだけど、使えるんじゃないかな?」
 主人は寝室を出ると、大きな段ボール箱を一つ抱えて戻って来た。中にはむき出しのおもちゃがぎっしり詰まっている。
「これさぁ『マイティマックス』って言って、6〜7年前に流行ったおもちゃなんだ。元々は女の子向けの『ポーリーポケット』ってのがあって、手の平サイズのコンパクトの中が小さいリカちゃんハウスみたいになってるんだけど、それの男の子向け版。どれもある一つのテーマを持ったジオラマになってるんだよ」
 私はその中の一つ、ゴリラの顔をしたものを取り出してみた。外見はゴリラなのだが、展開すると中はジャングルを模した舞台へと変化する。ゴリラの目だと思われていたのが、実は松明に飾られたドクロであったり、その一部が小さなゴリラの全身になっていたりと、なかなか工夫されている。
「確かに、現実とはかなりかけ離れた世界だけど、そのぶん想像もしやすいんじゃないかな。今の子供はテレビとかゲームに慣れてるから、こっちの方が良いと思うよ。このシリーズ自体、テレビとかでやってたわけじゃないオリジナルのものだから、先入観も無いはずだし。いや、本当はアニメもあるんだけど、日本じゃやってないからね」
「いいの?商売道具を使っちゃって?」
「・・・最近、元気ないの、その子のこと考えてるせいだろ?俺に出来ることはこんなことぐらいだからさ」

 私はその段ボール箱いっぱいの『マイティマックス』を持って、黄山美智雄の家を訪ねた。母親の話によると、本人はあまりおもちゃを欲しがらない性格らしく、普段は買い与えてもいないということだった。事実、私が持参した山ほどのおもちゃに彼は何の関心も示さなかった。
 私はとりあえず荷物をそのまま残しておくと伝え、物語を書くためのノートを一冊添えた。

 数日後、私が学校から帰ると、珍しく主人が先に帰宅していた。居間のソファに寝転がって、何やら読みふけっている。よく見ると、それは私が黄山美智雄に渡したノートだった。
「これ、さっき店の方に本人が持って来たんだよ。びっくりしたよ、いきなり『直子先生いますか』とかって言われてさ」
「ごめん。前、店の前を一緒に通り掛かった時があって。それを憶えてたのね」
「ちょっとこのノート見てみろよ」
 主人から渡されたノートは、ページがごわついて膨らんでいた。それもそのはずだ。中のページはどれも鉛筆の細かい文字でびっしりと埋め尽くされていて、時折挿し絵風のイラストも描かれていた。パラパラとめくった最後のページの最終行には『第1部・END』と書かれているのが分かった。
「途中までチラっと読んだんだけどさぁ、なんかメチャクチャ面白くて。店も閉めて、腰据えて読んでたんだよ。いや、分析すんのはともかくとして、単純に読み物として良く出来てると思う。文才あるよ、この子。文才っていうか、天才かな?アマゾンにピラミッドがあるとか、子供っぽい間違いも多いけど、そんなの気にならない。いやほんと」
 興奮して語る主人を見ていると、私はつい可笑しくなって吹き出してしまった。またしても本来の目的とは違う結果なのだが、私はその結果に既に満足していた。
「おい、返せ。続き読むんだからさ。今いいとこだったんだよ」

「ねぇ、ちょっとお茶でも飲みに行かない?」
 私はその時の話を根木先生に話すつもりだった。黄山美智雄が三冊のノートに三部作をまとめ、感激した主人にご褒美としてマイティマックスをプレゼントされた後日談も含めてだ。
「結構です。まだ、仕事が残ってますから」
「そう、残念だな。この歳だと、一人でケーキ屋とか入るの恥ずかしいから、期待してたのに」
「いいですね。・・・直子先生、なんだか楽しそうですね」
「学校、楽しくない?」
「責任、ありますから・・・」
 私は少し笑顔を引きつらせて、去っていく根木先生を見送った。「学校は楽しくないもの」「それでも毎日来なくてはならないもの」・・・たぶん、そんな思いの中にも、不登校の原因はあるというのに。
 風にあおられて、中庭のイチョウが残り葉を一斉に散らした。

[この物語はフィクションです]


BlueBird Toys / "Mighty max" playsets


BACK