No.29/Vol.31 「聖夜が駆ける街」

 先月からパートで入って来た理沙ちゃんは、器量も良いし手際も良いから、パート仲間にもお客にも好かれている。いつもここを利用する区役所連中の中にも、理沙ちゃん目当てで通っている野郎が多いんではないかとアタシは見ている。客に対してまんべんなく愛想が良いから、飛び込みで幕の内50個とか、アタシだったら絶対受けないような無理な注文を受けてしまうことがあるにはあっても、厨房の男どもも理沙ちゃんが受けたと言うとしぶしぶ引き受けてしまう。アタシが言うのもアレだけど、なんだか「嫁にしたくなる」ようなタイプだ。
 そんな理沙ちゃんがどうも結婚してるらしいってことは、アタシらパート仲間しか知らない。指輪もしてないから、外見じゃ分かんないだろうと思う。とはいえ、アタシらも理沙ちゃん本人からそれを聞き出したわけじゃない。やはりパート仲間で午前中担当の久保木さんが、たまたま近所で男と一緒に歩いている理沙ちゃんの姿を目撃したっていうだけの話だ。ただ、その時の雰囲気があまりに自然な感じだったから、久保木さんは「ぜったい夫婦に違いない」と言い張っている。しかも「旦那は若い頃の仲代達也に似てた」らしいし、「何やらワケアリっぽい」感じでもあったそうだ。
 元々おとなしい理沙ちゃんは、あまりアタシらと話をしたがらないし、逆に久保木さんは仕事が終わったのに夕方まで詰め所に残って話してたりもするんだけども、そういうわけで、アタシは理沙ちゃんに話しかけるのに、実はちょっと抵抗があった。
「理沙ちゃん、悪いんだけど、ちょっといいかしらねぇ?」
「はい。何ですか?」
「ちょっとさぁ、探して欲しいものがあんのよ」
 2時を回って客足が少なくなったのを見計らい、サラダコーナーのガラスを大急ぎで拭き終えたアタシは、店の表のピンク電話のスタンドに電話帳と一緒に並べてある、ぶ厚いカタログを取り出した。
「アタシと理沙ちゃん、4番ね」
 厨房に声をかけて、アタシは理沙ちゃんの細い手を引っ張るように詰め所に向かった。触ってみて分かったことだけど、理沙ちゃんの手は水仕事なんてしたことないようにきれいだった。

「前さぁ、オモチャ屋さんで働いてたって言ってたわよね?」
「えぇ、まぁ・・・」
「悪いんだけどさぁ、『ゴーゴーファイブ』のロボットって分かる?」
「え?・・・えーと、どれ、でしょう?」
「どれって、いっぱいあんの?」
「そうですね、まぁ、いろいろ」
「そうかー、やっぱ聞かなきゃ分かんないかぁ」
「プレゼントですか、クリスマスの?」
「そうなのよ、息子にね、あ、今5歳になる息子がいるんだけど、智也っていうんだけど、実はさぁ、去年もちゃんとしたプレゼント買ってやれなくてね、今年こそはって思ったんだけど、一番上の子が受験なのよ。高校受験。受験に金かけるつもりはないんだけどさぁ、そいつ野球やってて、どうしても私立にね、行きたいって言うもんだからさ。お金けっこう必要になるのよ、これがね。でね、これはどうかって思ったんだけどね」
 そこまで言って、アタシはカタログを理沙ちゃんに手渡した。理沙ちゃんは初めて見るような感じでそれをめくり始めた。
「ダイヤクーポンのカタログよ。いつもお釣り渡す時に付けてるでしょう?あれ、レシートと一緒に受け取らないやつ多いでしょう?それ、レジんとこの青い箱に入れてるでしょう?あれ、アタシが集めてるのよ。もう1万円分ぐらいあんのよ」
「そうだったんですか」
「けっこう良いものと取り替えられるんだ。昔、その受験する子、弘樹っていうんだけど、その子に天体望遠鏡もらってやったこともあんのよ。まぁ一度も覗いてるとこ見たことないんだけどね、あはは。高いグローブとかユニフォームは買わされるのよ、名前入ってるからって。やんなっちゃう」
「あの・・・」
「やっぱ分からない?あのねぇ、なんか合体するやつだと思うんだけど」
「ビクトリーロボですかねぇ・・・」
「ビクトリー?うーん、なんか違うかも・・・」
「ってことはビクトリーマーズでもないから、グランドライナーかなぁ?」
「それかなぁ?それだな。それかもしんない。うん、確かなんとかライナーって言ってた気がする。うん」
「そうですね、たぶんなんとかライナーですよね」
「で、ある?そのカタログに?」
「それが、載ってないんですけど」
「え?それは載ってない?」
「っていうか、このカタログ、ちょっと古いんですよね。その、一昨年のやつまでしか載ってないみたいなんですけど。ギャラクシーメガだから、たぶんそのぐらいかな」
「えー、そうなの?」
「この、カタログ出してるとこに電話してみると良いんじゃないですか?新しくなってるかもしれないし・・・どっちにしろ、注文は電話でしなきゃですもんね」
「そうねぇ、聞いてみるのが早いかもね。えーと、何って言ったっけ?」
「グランドライナーですね」

 アタシはその勢いのままカタログを出しているダイヤクーポンの本社に電話してみたのだが、新しいカタログは出ていないし、色々あってそういう商品は扱わないことになったのだという。電話口のやる気のない応対を聞いていると、頭に来るより先にミジメな気持ちになってしまった。理沙ちゃんは横でずっと話を聞いていて理解したようで、アタシが電話を切ると同時に、アタシと同じようにため息をついてくれた。
「買うと、高いんだよねぇ?グランドライナー」
「そうですね。定価だと8千円ぐらいなんで、5千円ぐらいしますね、安いところで」
「5千円は出せないねぇ、いくらなんでも・・・。千円ぐらいだったらねぇ、あはは」
「本当ですか?千円、出せます?」
 そう言うなり、理沙ちゃんは目に輝きを取り戻したように見えた。少しいたずらっぽく微笑んだ唇に白い前歯が覗いて、アタシは同じ女であるにもかかわらず、ちょっとドキっとした。
「もしかしたら、千円で買えるかもしれないですよ、グランドライナー」

 クリスマスイブの前日、つまり12月23日、アタシは理沙ちゃんと一緒に蔵前の駅に着いた。理沙ちゃんは一人で良いからと言ってくれたのだが、もしかしたら理沙ちゃんが足りない分を肩代わりするつもりなんじゃないかと心配だったので、アタシは着いて行くことにしたのだ。
 相撲にも何にも興味のないアタシが、この街に来るのは初めてのことだ。祝日でパートが終わるのが4時だったため、地下鉄を乗り継いで着いた頃には、辺りはすっかり日が落ちて暗くなっていた。
 駅をすぐ出たところにオモチャ屋が見える。その、すぐ隣もオモチャ屋のようだが、そちらは休日だからかシャッターが閉められていた。休みの日こそ繁昌しそうなものだが、不景気の影響だろうかと思った。よくよく見回してみても、歩いている人影すらまばらだ。
「いいですか、これから5時までが勝負です。ちょっと歩きますよ」
 そう言うと、理沙ちゃんはそのオモチャ屋とは反対方向、しかも大通りから一つ奥に入った、細い道へ向かって歩き出した。アタシはすぐに不安になった。
「ねぇねぇ、本当にここで買えるの?」
「ここ、オモチャの問屋街なんです」
「問屋!そうなの!それは安いはずよね!」
「でも、なかなか普段は小売りとかしてもらえないんですよ。しかも問屋で買ったとしても、基本的に売り値は定価の半額です。店によって違いますけど、5割5分のところもあります」
「理沙ちゃんダメよ、そんなにお金持って来てないもの」
「だから、裏を見て回るんですよ。あぁ、出てますね、グランドライナー」
 理沙ちゃんの見る先に、大きく『グランドライナー』と書かれた段ボール箱が見えた。そこは倉庫の出入口のような場所で、数人がかりで大きなトラックに荷物を運び入れている。表通りとは比べ物にならない活気だった。
「ああやって、商品は何個かまとまって箱に入れられて店に納入するんです。ただ、全部の店が同じ商品を何個も仕入れられるわけじゃないんですね。だから実際は、箱をバラしてしまうことも多いんです。私たちが探すのは、そうやって分けられて、残ったやつです。・・・ここは無理かもなぁ。時間もないんで、次へ行きましょうか」
 そう言うと、理沙ちゃんは更に奥へと歩き出した。アタシは理沙ちゃんから次々と出てくる専門知識にすっかり舞い上がってしまって、いつの間にか小走りに駆け出していた。
 何軒かの倉庫を物色したところで、理沙ちゃんはぴたりと歩みを止めると、チラっと腕時計に目をやった。
「あそこに、1個だけ残ってますよね。あれにしましょう」
「うんうん。買おう買おう」
「だめだめ、あそこのワゴン車が出るまで待って下さい。5時になったら、店も閉まりますから」
「なるほど、閉まったとこころで売れ残りを買い叩こうってわけね」
「確かにそうなんですけど、いくら売れ残りだからって、買い叩けるわけじゃないんですよ、普段は。でも・・・あ、出ますね!」
 理沙ちゃんが合図にしようと言ったワゴン車が走り去った。残った店員らしい初老のオジサンが、店じまいするかのように道ばたに散らばった段ボール箱を片付け出した。すると理沙ちゃんはおもむろに「お金下さい」と言ってアタシから千円札をもぎとるように受け取ると、そのオジサンに歩み寄って何やら話し込み始め、倉庫の中へと消えて行った。アタシはその前の理沙ちゃんの言葉が気になっていたせいで、戸惑うばかりで待ちぼうけているほかなかった。
 道ばたに無造作に置かれたグランドライナーの箱を見ていると、アタシはもしかしたら「このスキにあれを持って行け」ってことなのかしらと思った。
 しばらくして理沙ちゃんが倉庫から出て来た。手には千円札の代わりに紙切れのようなものを持っている。そして、道ばたに置かれた箱を抱えると、アタシの元に走って来た。
「買えましたよグランドライナー、千円で。これ、伝票です」
 理沙ちゃんから手渡された紙切れは、税込み千円と書かれた請求明細書だった。
「あぁ良かった。だってさっき買えないとかって言ってたから、もう盗んで行こうかと思ってたのよ」
「すいません。ほら、明日はクリスマスイブでしょう?かきいれ時だから、どの店も明日のために入荷を急ぐんです。でも逆に言えば、今日を過ぎるともう商品の価値が半減しちゃうんですよ。ほら、ケーキを安売りしたりするじゃないですか。だから、どの店も商品は全部売り切っちゃいたいんです、今日のうちに」
「そうなの・・・クリスマスだから買えたんだね」
「この街は、どこよりも早くクリスマスが来て、1日だけ早くクリスマスが終わるんです」

 アタシは日付の幸運で手にしたグランドライナーをむき出しで抱えたまま、理沙ちゃんと地下鉄で帰った。まるで小さな冒険旅行をしてきた感じで、とても気分が良かった。調子にのって、車内で理沙ちゃん自身のことをあれこれ尋ねようとも思ったのだが、結局はアタシの息子の自慢話ばかりしてしまい、新宿を出たあたりでそれに気付いてからは、ずっと黙り込んでしまった。
 終点の一つ手前で降りるアタシは、駅に着いたのを見計らって、誠心誠意の感謝の意を込めて理沙ちゃんに頭を下げた。
「理沙ちゃん・・・いや、渡瀬さん、本当に、今日はありがとうね」
「いえ、あの、そんな・・・」
 アタシがあらたまってお礼したせいか、理沙ちゃんがずっと照れくさそうにしているのが、地下鉄のドア越しに見えていた。

[この物語はフィクションです]


BANDAI / "GRAND-LINER"


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