No.30/Vol.33 「ファイナル・カウントダウン」

 吐く息が、口から出た途端に凍ってしまうのではないかというほど、空気が冷えている。
 寒空の下で長い時間を過ごすのには慣れていたとはいえ、最近は近場の出動にも専らパトカーを利用しているし、昔のように張り込みの現場に就くことも少ない。さすがに出生から半世紀の道標が間近に迫ったこの歳になると、我慢は身体のあちこちに、しかも現実的な痛みを伴って現れてきた。今も少し腰が痛む気がする。同じ姿勢が、長く続かない。
 厚手の肌着の上下に腹巻きをして、ネルのシャツの上からセーターを着込み、更に上下揃いのウィンドブレーカーを身に着けていても、寒さは確実に身体の芯にまで伝わってくる。何より、靴下を重ね履きして来なかったのが大失敗だった。突き刺さるような冷たさがジョギングシューズのゴム底を貫いている。だから自然と、身体はその場で駆け足するように上下してしまう。

<そもそも、たまの休みの日に、なんでこんなことをしなきゃならないんだ?
 それは、自宅の裏手にあたる「日の出商店街」の外れに、かの有名な宗教団体が居を構えたことに端を発する。その発覚とほぼ同時に、我が細君が副会長を務める町内会は彼らの退去を訴える抗議集会を開催し、満場一致で自警団を設立した。ほぼ24時間体制で彼らが呼ぶところの『道場』を監視し、不穏な動きに俊敏に対応するという名目のものである。何も無い時は抗議のプラカードを掲げて徹底交戦の姿勢を見せておくという、抜かりのない構えだ。
 自警団のメンバーはほとんどが商店街の店主達によって構成されているが、正午から夕方にかけての時間は、一般のご婦人方が有志でそれを担っている。もちろん、その時間帯が主婦にとって最も好都合であるからなのだが、気まぐれで身勝手な奥様連中のことであるからして、同時に十数人が集まることもあれば、一人として顔を見せないこともある。そんな時は責任者でもある我が細君が出張ることになるわけだが、冬休みの初日となった今日は、小学校で行われるクリスマスバザーのために時間の都合がつかなくなったのである(ちなみに我が細君はPTAの役員にも選ばれている)。
 かくして久々の有給休暇を取った私が、午前中は子供達のためにデパートを引き回され、午後には彼女の代わりにこうしてプラカードを持ち、人通りの少ない商店街の外れに立つことになったのである。本来は公則のためにこういった活動には参加できないのだが・・・
<おや、あれは確か・・・
 件の『道場』から一人の若い男が現れ、入り口を護るように道向きに立ったのだ。おそらくマスコミを警戒しての見張り役なのだろう。彼らが日常的に身に着けている白い綿の道着の上から、紺色のベンチウォーマーを羽織っている。耳まで覆う毛糸の帽子を深々と被り、履いているのは釣りの時などに使うゴムの長靴だった。ふくらはぎの部分がゴムベルト状になっていて、ぴったりと足を覆うタイプのものだ。私はそれを少し羨ましく思い、また少し悔しくもあったので、飛び跳ねる動きを軟らかく鎮めた。
 そうこうしているうち、彼とばったり目が合ってしまった。近くに居るのは私だけだから、当然と言えば当然である。ところが、靴の事で引け目を感じていた私は、次の瞬間に思わず作り笑いを浮かべて会釈してしまっていた。あろうことか、仮にも敵に対して低姿勢を見せてしまったのだ。すると意外なことに、彼もにっこりと微笑んで、頭を深く下げて来たのだ。私は妙に気恥ずかしくなって、プラカードを地面に下ろすと、さりげなく彼に背を向けた。一応、監視が目的であるので、何度か振り返って様子をうかがったのだが、彼も私に気を遣ってか、ずっと反対の方を向いていた。
 私はなんだか勝手が違うなぁなどと思いつつ、頭にこびりついた彼の顔のことを思い返していた。仕事柄、人相を覚えるのは長けているし、しかもそれが今朝のことであれば尚更である。彼は間違いなく、私が子供達と行った、車で10分ほどの距離にあるデパートの玩具売り場に居たのだ。かの宗教団体は一部の信者を強制的にその施設内に監禁するなどとして問題になったわけだが、果たしてそれは本当にごく一部で、彼のように自由に買い物出来たりする者もいるのだろうか?
 私はそんな好奇心から、近くにあった缶ジュースの自動販売機で熱いコーヒーを2つ買うと、それを手みやげ代わりに彼に話しかけてみた。するとこれまた意外なことに、彼は丁寧に礼をした後でそれを素直に受け取り、味わうようにちびりちびりと飲み始めた。一口飲む度に吐き出される白い息を見ながら、私は不思議な安堵感に包まれていた。

 平川と名乗る彼とは、2時間ばかりの間「道場」の前で座り込んで話をした。私が刑事であることに最初は戸惑っていたものの、彼は自分の生い立ちのことも含めて、いま抱えている問題のことや、「道場」内での生活のことなどを隠さずに語ってくれた。
 誠実で生真面目な横顔からは、最近の若者には珍しい、むしろ年寄りじみた人柄も感じられたのだが、すっかり打ち解けた頃になって、今朝買ったのだという玩具をポケットから出して見せた時、彼が紛れもなくまだ少年であることを私は認めた。
 ポケットから出て来たのは、私の6歳になる息子が買ったのと同じ、『ミクロマン』という小さい人形だった。確か我が家にも十体ぐらいあったと思う。カラフルなプラスチックで作られたその8センチ程の人形に、今朝発売された新作には胸が発光する仕掛けが盛り込まれたという。デパート帰りの車の中で息子がそうだったように、彼は何度ともなく小さな人形に光を点らせては、その光の向こうにある何かを見つめるように、どこか遠い目をしていた。

 それから1週間が過ぎ、世間では大晦日を迎えた。2ヶ月前から抱えている放火事件の報告書を一通りまとめ終えた私は、歳末検問に出かける交通課の出陣式に立ち合った後、「Y2K問題」対策のために設置された特別本部内で、地域課や生活安全課の刑事らと共にささやかな宴を始めようとしていた。本格的に忙しくなるはずの午前0時前に、1年の労をねぎらおうという計らいだった。
 そして午後10時45分、事件の始まりは1本の電話によって告げられた。
「はい、奥田は私ですが・・・?」
「ご苦労様です。こちらは警視庁捜査一課特犯四係の市原と申します。突然で恐縮ですが、今すぐ警視庁までご足労いただきたい。事情はファックスで既にそちらへ送信済みです。緊急態勢でお願いします」
 電話を切ると同時に、同僚の刑事がファックスの用紙を手にして走って来た。「都内数カ所に、爆弾が仕掛けられたそうです!」

 午後10時20分、JR高田馬場駅のホーム内自動販売機の上に、清掃員が黒いビニール袋に入った不審物を発見した。駅員はマニュアル通りに警視庁と東京駅鉄道管理センターへ連絡。1週間前から続いていた不審物による発火事件で動員されていた数百名の捜査員によって、5分後にはJR山手線の5つの駅で同様の不審物が確認された。そして同35分、第一機動捜査隊が高田馬場駅に到着。不審物は時限装置を有した危険物であると断定、ただちに各所轄署へ緊急配備命令が下った。
 途中の新宿署で機動捜査隊の移動車に乗り換えた私は、先程の電話の主である市原氏と対面した。
「浜松町駅で、平川誠という男を現行犯逮捕しました。ご存じのはずです」
 私は先日、「道場」の前で話をした少年のことを思い出した。
「平川は自分で造った爆弾を所持していました。爆弾は全部で6個。すべて時限装置付きで、今夜11時59分59秒に爆発するようセットされていると自供しています。爆弾はすべて発見しましたが、各種センサーも内蔵しているらしく、自衛隊の爆発物処理班に応援を要請しました。爆弾を回収し、液体窒素によって爆弾自体を冷凍させる計画です」
「それで、彼が私を・・・?」
「あなたとしか、話をしないと言っています。万が一に備えて、平川とすべての爆弾は東雲の免許センター跡地へ移送中です」

 午後11時25分。うっそうとした林に囲まれた野球のグラウンド程の広大な更地には、周囲の喧騒とは正反対に寂寞とした風が吹いている。入口付近には十数台のパトカーが並び、砂袋を積んだトラックの姿も見える。そして更地の中央付近、照明機材を屋根に載せた数台のマイクロバスに囲まれるようにして、地面に直に置かれたパイプ椅子に座り、彼、平川誠は居た。
「最後の爆弾は、平川が所持しています。身体から離すと、爆発すると言っているそうです」
「話をしてみます。あなた方は、他の爆弾の処理を」
 市原氏は軽く敬礼すると、マイクロバスの陰に消えた。私は平川の目前にまで近付いた。じっと手錠を見つめるその顔の、左の頬が大きく腫れている。
「寒くないか?」
「別に、優しい言葉が欲しくて、呼んだわけじゃありませんよ」
「・・・どうして、こんなことをした?」
「もう、分かってるでしょう?僕らは、今年中に何か事が起こってもらわないと困るんですよ」
「命令、されたのか?」
「僕が勝手にやったことです。僕が信じていたものの、あるべき姿を実践するために、僕が考え、僕がこれを作り、僕が配置しました」
 平川は膝に置いた大型のデイパックの底から、黒い箱状のものを取り出した。台所で使うタッパウェアを内側から黒く塗ったもので、その蓋部分にいくつかの穴や金属片、基盤がむき出しになったデジタル式時計が見える。
「こいつも作動しています。時間が来たら、爆発します」
「まず、君が一番に被害を受ける」
「覚悟しています」
「先刻の話だが、どうして私を呼んだ?」
「・・・・・」
「誰かに、止めて欲しかったんじゃないのか?誰かに、分かって欲しかったんじゃないのか?君は死ぬ覚悟があると言った。このままもし爆発が起これば、君は世間からも仲間からも、誰にも認められずに死ぬことになる。君は死ぬ前に、誰かに自分の存在を知って欲しかった。そうじゃないのか?」
「・・・これ作るの、大変だったんですよ。同じ信者にも見つかるとまずいし・・・。でも、中には支援してくれる人もいました。だから僕は、割と自由に外出できたんです。僕は、あの事件の後に入信したんですよ。この国を吹き飛ばすために・・・。こんな汚れた国は無くなった方が良い。そう思ったから」
「甘ったれるな。何もかも、自分の思い通りになると思うな。窮屈な思いをしているのが、自分だけだと思うな。君が言う通り、この国は汚れているかもしれない。それでも、その中には一生懸命生きている人たちがいる。自分の幸せを守るために、健気に生きている人たちがいる。君にそんな人たちの命を奪っていい権利はない」
 しびれを切らしたように、市原氏が私の元へ駆け寄って来た。市原氏が見せた腕時計の針は、あと十数度で重なろうとしている。
「時間がありません。爆弾を隔離して、処理させます」
「もう一言だけ言わせて下さい。この、半端な革命家くずれにね」
「奥田さん!」
 私は平川が爆弾を取り出した時、デイパックの中に「ある物」を見つけていた。私は平川の側に寄り、放り出されたデイパックの中からそれを取り出した。先日、彼が私に見せてくれた『ミクロマン』だった。
「君は、意気地なしだ。最後に保険をかけておいたんだ。私が刑事であることを知って、だから私にこれを見せたんだ」
 私は手にしたミクロマンを、平川の抱えた爆弾の蓋の、二つ並んだ金属片の上に立たせた。ミクロマンの足の裏は磁石になっていて金属の上に固定できることを、彼は先日停めてあった車のボンネットで見せてくれていた。そしてミクロマンの身体を屈ませると、ちょうど胸の部分にあたる箇所に空けられた蓋の穴に向けて、その胸を発光させた。
 ピッという発信音が聞こえた瞬間、平川は緊張を解き、すっと肩を落とした。蓋に仕込まれたデジタル式時計が停止していた。
「その中に、多分あと5個、同じような人形が入っています。それで爆発を止められます。おそらく、運搬中の誤作動を防ぐための鍵として使っていたんでしょう」
 唖然とする市原氏に、私は説明した。

 瞬間、どこか遠くの歓声が耳に届いた。腕時計を見ると、ちょうど午前0時になったところだった。
 爆弾は私が発見したのと同じ方法で停止され、自衛隊が後処理を行っている。平川は最初に見た時と同じように、手錠を見つめたまま動かない。私も彼にかける言葉が見つからないまま、立ち尽くしていた。
「奥田さん、知ってますか?」平川の声だった。
「・・・2000年問題って騒がれたでしょう?あんなの、起こらないんですよ、実際は」
「だから自分で起こそうとしたのか?」
「いいえ。あれは、政府が仕組んだダミー・・・でっち上げです。本当の事件は、間もなく起こります。関東一帯のライフラインが寸断されるような、とてつもなく大きな事件が・・・。政府はそれを知っていて、僕たち一般市民には隠しているんです」
 すると、平川の言葉を遮るように数人の警官が彼を抑えた。私の後ろから、市原氏の命令が飛んだ。平川はもがきながらも言葉を続けようとしたが、タオルで猿ぐつわを噛まされ、その声は私には届かなかった。
「ご苦労様でした。署までお送りします。・・・不謹慎かもしれませんが、明けましておめでとうございます」
 そう言うと、市原氏は深々と頭を下げた。反射的に礼を返しながらも、私にはどうしても素直に喜ぶことができなかった。
<私たちの知らないところで、別の、いや本当のカウントダウンが既に始まっているのかもしれない・・・。
 戯言かもしれない平川の言葉が、私の心に重くのしかかっていた。

[この物語はフィクションです]


TAKARA / "MICROMAN LED-POWERS"


BACK