No.32/Vol.28 「迷宮玩具店」

 真夏を思わせる太陽に蒸された空気が、草いきれと混じって咽せそうだ。
「もう、あきらめませんか?」僕は後ろを歩く桐澤さんに声をかける。彼は僕の仕事のクライアントでもあるし、この奇妙な旅の発起人もあった。返事がないので振り返ると、5メートルほど後方で、彼は直接あぜ道に腰を下ろして身体を覆う汗の膜を拭っている。声を出す気力もないのか、黙ってうなづいて見せた。僕もそれに倣って座り込み、汗まみれの掌で砂利の肌触りを感じる。
<最後にこうして地面に座ったのはいつだったろう?
 僕らが越えてきた山の方から、蝉の声が聞こえた気がした。うっすらと陽炎に覆われた山の稜線が、微妙に霞んで見える。

「前に出入りのミュージシャンから聞いたことがあるんだよね。スタジオから駅に戻るバスの車中から見えたってことらしいんだけど」
「じゃあ、店に入ったわけじゃないんですか、それ?」
「まさかバス停めて降りるわけいかなかったんじゃない?そいつも悔しがってたんだよ、なんか穴場の匂いがしたって」
「でも、いいんすか?半分は私用じゃないすか・・・」
「それを言うなら仕事半分って言ってよ。いつも苦労かけてるからさ、たまにはこういうおいしい話があってもいいでしょ?嫌じゃないでしょ?」
「まぁ、そうですけど・・・那須ですか・・・最近の2時間ドラマって、カネあるんすね」
「あるわけないじゃん。だって行くの俺と松岡ちゃんだけだし、運転手も兼務だよ」
 電話口の桐澤さんの声が、明らかに弾んでいるのが分かった。彼は本人の口を借りれば、普段は「あまりおいしくない」らしいCMやVPの仕事ばかりを発注してくる広告代理店のプロデューサーなのだが、僕とは玩具コレクター同志ということでウマが合った。ちなみに僕より7歳も年下である。
 その電話は単発の2時間ドラマの音楽の発注だった。1年ほど前に製作途中でオクラになっていたものを代理店が買い上げて、番組改編期の穴埋めに使うのだと言う。なんとも地味な仕事ではあるが、本来の演出家やプロデューサーが権利を放棄していたためにほとんど自由に制作できそうなのと、このところの不景気で本職であるギタリストとしての仕事が減ってきたこともあって、快諾しない手はなかった。しかも今回は那須高原のスタジオに2泊3日のオマケ付きと来ている。
「とりあえず着いたらすぐに録れるように準備しといて。一晩で片付けて、次の日まるごと玩具探索ツアーってことで」

 その言葉通り、僕は作業の大半を自宅の機材で片付け、アコースティックギターと桐澤さんのリクエストであるシタールを愛車チェロキーに積み込んで東京を発った。そして桐澤さんと那須の駅で合流し、目的地であるスタジオに着くなり一気に全8曲を録り切ってしまったのだ。ほとんどぶっつけ本番の世界である。やっつけとも言うが。とにかくその日のうちにチェック用の軽いミキシングまで済ませ、明日のためにスタジオに隣接するペンション風の宿泊施設で早々と寝入ったのだった。

「ねぇ、そこ、あると思う?クローバーのガンダム?」
「さぁ、どうっすかねぇ・・・。本当にこの道でいいんすか?」
「駅までの道つっても、ほとんど一本道だしね。とにかく、そっち側注意しといてよ」
 スタジオから駅までは車で20分ほどの距離で、しかもその道程の半分はほとんどが林か畑だった。駅に近付くにつれてぽつぽつと商店や寂れた蕎麦屋が現れるものの、おもちゃ屋らしきたたずまいはまったく見当たらない。
 結局僕らはその道を何度も往復し、仕方がないのでその寂れた蕎麦屋で遅い昼食をとることにした。ちなみにここの蕎麦は見かけと裏腹にめちゃくちゃ美味だったのだが、それでこの場がおさまるわけはない。
「松岡ちゃんは今は何がメインなの?」
「いや、相変わらずっすよ。スターウォーズとか昔のアメリカTV関係で。最近だと『M.A.S.H.』とかですかねぇ・・・」
「それって古いやつ?」
「いや、もうギリギリ80年代に入ってるはずですけど。・・・桐澤さんはアレっすか?やっぱりガンダムっすか?」
「探してるっていうか、ショップとか行けばあるんだけど、高いじゃない?俺なぜかガンキャノンとガンタンクは持ってるんだけどさ。いつか買おうと思ってんだけど、なかなかねぇ。Gファイター付きのDXで美品だったら言うことないんだけどさ」
「今いくらぐらいします、ショップで?」
「状態にもよるけど、デッドストックで5〜6万ぐらいかなぁ。前にほら、笹塚の店あるじゃん?「てんぷく屋」だっけ?あそこに状態いいのあったんだけど、なんか盗まれちゃったらしくてさぁ。こないだ聞いたガンダムの裏デザイナーの話以来、余計に欲しくなってね。あれ、本当なんでしょ?」
「本当って言うか、その、デザインした本人に聞いた話なんで・・・そいつが嘘ついてないって保証もあるんすけど。まぁあんまし表沙汰にしたくないらしくて、だから詳しく教えてくれないんですよね」
「ふうん。結構それって衝撃走るよね、公表されたりしたら。みんなガンダムって大河原デザインだと思ってるしね」
「いや、マジであんまり話さないで下さいよ。俺も酒の席でうっかり、って感じなんすから」
「・・・それにしても。やっぱガセかなぁ、幻の玩具店は・・・。本当に幻じゃシャレになんないよね」
「オモチャ屋の近くって、なんていうか、そういう匂いみたいなのってあるじゃないすか。子供の集まる雰囲気とか、ちょっとこう、メインストリートから外れた路地の感じっていうか・・・この辺、なんかそういう感じしないんすよねぇ」
「うーん、でも俺そういう店って行ったことないしなぁ。うちの田舎じゃあもっぱらデパートだったしさ」
「え?学校帰りに寄ったりしませんでした?」
「いやぁ、うちは田舎だし、せいぜい駄菓子屋だよね。百円プラモとか、そのへんだよ」
「駄菓子屋ねぇ・・・そういえば、来る途中に学校ありましたよね?」
「あぁ、あったね」
「なんか臭くないっすか?あの辺り?」
「・・・学校あるところに、駄菓子屋あり、か?」

 暑さと何の達成感も得られない焦りが、疲れを倍増させる。車を降りて、かれこれ3時間近くも歩き回っていた。日が長くなったとはいえ、辺りはもう夕暮れを迎える準備を始めている。道端を覆うシロツメグサが一瞬なびいて、少しだけ爽やかな風が頬をよぎった。
「まったく、自動販売機もありゃしないなんて・・・」桐澤さんがようやく口を開いた。
「車まで戻りますか」そう言って僕はようやく両手を叩いて砂を払った。その時・・・
 僕の掌から、1枚の紙きれがひらひらと落ちた。その紙切れに見覚えがある。正確には同じものではないのだが、確かに「それ」が何であるか知っていた。「それって・・・」いつの間にか立ち上がっていた桐澤さんも同じように「それ」に気付いたのだ。その薄い紫色の紙片は、間違いなく駄菓子屋によくある「引きくじ」の裏紙だった。
 僕らは何かに惹かれるように、ふと道先の彼方に目を凝らした。そこにはまるで蜃気楼のように、一軒の古びた商店風の店構えを持った家屋が現れていた。砂漠で迷った挙げ句にオアシスを発見した・・・そんな例えがまさにぴったりだ。
 まるで数十年も時間が止まっていたような空間が、そこにはあった。
 応対に現れた店主の老人に、軒先の錆だらけのクーラーボックスから取り出した缶コーラの代金を支払い、僕らはそれで一気に喉を潤してから、じっくり店の中を物色することにした。
 確かに店自体は駄菓子屋のようで、6畳間ほどの敷地のほとんどはそれらしい駄菓子や少し色褪せた文房具、そしていくらかの他愛無い玩具とカード類で占められていた。普通の人間なら、ただの田舎の駄菓子屋だと思うだろう。しかし僕らは玩具コレクターだった。他愛無い玩具の中に、輝くものを見つけるのはたやすい。そしてその通り、僕らはまっさきにそれを発見した。
「これってウルトラホーク1号だよね?」
「無版権モノですね。昔けっこうやりましたよ。ほら、このへんも・・・レッドバロンとか、ザボーガーか、これは」
「ちょっと待って、これほらピンクレディーのプロマイド引きだって」
「こっちのはちょっと新しいかな、合金っぽい」
「あぁ、それダイオージャ!イデオンの消しゴムもあんじゃん、合体できるやつ。すっげー」
「あのう、もしかして古いおもちゃをお探しですか?」
 店主の老人が僕らのやりとりを耳にして声をかけてきた。
「いや、そういうわけでもないんですけど・・・」僕はいたって普通の人間を装って応える。最近はお宝ブームのせいで、古い玩具が価値を持つという余計な知識を持ってしまった店が少なくない。古物を専門に扱うショップなら、プレミアとはいえ市場や相場を踏まえた妥当な値段がついているが、詳しい情報を持たないそうした店では、欲深に勘違いした的外れの値段をつけることもある。僕は慎重に在庫の有無などを聞き出そうと思っていた。
「ガンダムとかは無いですよねぇ・・・」桐澤さんのストレートな質問に、僕は閉口してしまう。
「ガンダムねぇ・・・確か倉庫にあったかなぁ」
「本当ですか?どのへんのやつですかねぇ?」
「うーん、昔のだからよく覚えてないけど、確かあったと思いますよ。いや、たまにそういう古いおもちゃはないかって客も来るんで、ここには無いって言うんだけど。倉庫って言ってもうちの自宅のだから、ここから離れてますんでね」
「あのう、出来ればその倉庫を見せてもらえないですかねぇ?」
「いいですよぅ・・・私ももう歳がだいぶいってるし、そろそろ店も閉めようと思ってるから、そういう在庫品は処分しようと思ってたところなんですよ。欲しいものがあれば持って行ってくれるとありがたいねぇ」

 結局その日は手ぶらで帰ることになった。車からだいぶ離れてしまったのと、店主がもう遅いので明朝に改めてほしいと請いたからだ。僕らは倉庫のある店主の自宅のそばだという県道沿いのバス停で待ち合わせることを約束して、その店を後にした。帰り道で分かったことだが、皮肉なことにそのバス停は僕らが使っているスタジオの最寄りの停留所だった。

 明け方近くまで一人でミックスの作業をしていた僕は、翌日、チェックアウトを促す宿泊所の管理人からの電話で目を覚ました。ベッドに備え付けの時計を見ると、約束の時間を優に数時間も過ぎている。おまけに隣のベッドで寝ていたはずの桐澤さんの姿も見当たらなかった。
 慌てて身支度を済ませて部屋を出ると、ちょうどスタジオと宿泊所をつなぐホール状になった休憩所のソファに、桐澤さんがぐったりと座り込んでいた。
「どうしたんすか桐澤さん、もう行って来たんすか?」
「・・・ごめん、松岡さん・・・俺、ボラれちゃったよ・・・」
 そう言うと彼は足下に隠すように置いてあった箱を取り出した。彼が欲しがっていた件のDX版ではないが、まさしくそれはクローバー製の合金ガンダムだった。
「なんか自宅の方にまず案内されちゃって、お茶とかお菓子とか出されてさぁ、そんで倉庫っていうか小さな蔵みたいな所に連れて行かれて・・・いや、もうすごかったんだよ、そこ。もう天井までびっしりオモチャが山積みでさ。超合金とかソフビの人形とか、もうマニアならヨダレモノばっかで。そんで爺さんが「ガンダムってこれだろ」ってこれ出して来て。その奥にDXの箱も見えたんだけど「あぁそれです」って俺言っちゃって、そしたら爺さんが「それ十万円」ってポロって言うんだよね。何の臆面もなく言うんだよ。その時の爺さんの顔がすごい怖くてさ、俺とてもじゃないけど「それじゃ買えない」って言えなくなっちゃってさ、いや、がんばったんだけど、言えなかったんだよ・・・」
「とんでもないなぁ、そりゃあ」
「ボッタクリだよねぇ。でさぁ、悪いとは思ったんだけど、実は松岡さんのお金、ちょっと借りてたんだよね」
「え!?」
「正直言うと、たぶん大丈夫だとは思ったんだけど、もしかしたら欲しいのカブるかもしれないと思ってさ。だから松岡さんの目覚まし止めて、ついでにちょっと財布を・・・。ごめん、本当にごめんなさい。だって俺、今日3万ぐらいしか持ってなかったから」
「いや、それはいいっすけど。でも僕も3万ぐらいしか持って来てなかったはずじゃあ?」
「・・・実はここのスタジオに払うお金も、ちょっと使っちゃって。マズいよねぇ。たぶん伝票でなんとかなると思うんだけど。でもあの時「そっちのDXの方です」って言わなくて良かったよ。一体いくらだったか見当もつかないもん。なんかこう、夢が無くなるとダメだよね、こういうのは・・・」
 僕は大きくため息をついて肩を下ろした。巻き添えを食ったのは明らかに僕の方なのだが、それでも僕には桐澤さんを責めることができなかった。
 僕らは宝物を求めて迷宮を探し回る冒険者のようなものだ。そして当然、迷宮には魔物が棲んでいるのだ。

[この物語はフィクションです]


clover / "DIE-CAST/GUNDAM"


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