No.34/Vol.30 「クロブチ」

 4年生の時から通っている塾のそばに、大きなお寺があるのを知ったのはつい最近のことだ。
 学校とは反対側にあるターミナル駅を抜けて歩道橋を下り、車の多い大通りぞいをしばらく歩くとそのお寺はある。いつも夕方すぎに見るせいか、お堂の屋根は空ににじんで、どれくらい大きいのか分からないくらいだ。そこではほとんど毎晩何組かのお通夜をやっている。というより、そこはそういうお葬式専門のお寺みたいだった。

 そのお寺に塾をサボって通うのを、最近の僕は日課にしていた。
 6年にもなると、学校帰りに友達と遊んだりすることは少なくなる。たいていの連中は同じように塾に通っているし、少年野球やサッカーの練習とか、英会話やなんかの習い事もみんなやってるみたいだ。ヒマなやつらは中学生とつるんでゲーセンにたむろしてるらしい。どっちにしろ僕はそいつらと一緒に行動してないから、どういうことをしてるのか本当は知らない。そして僕のこの寄り道も、たぶんだれも知らないはずだ。
 お寺にはお堂の他に集会所みたいな建物が2つあって、1つは順番待ちの人たちの待ち合い所で、もう1つはお通夜の間に食事したりお酒を飲んだりする宴会場になっている。僕が日課にしているのは、その宴会場にこっそりまぎれこんで、おすしやジュースをただで飲み食いすることだった。最初はおみやげにくれるおかしをもらうだけだったのが、いつの間にかそこまでやっても大丈夫だと分かってきたからだ。小学生が喪服を着てなくてもおかしくはないから、いかにも親せきの子供ですという顔をしていれば、まずだれも変に思わない。お通夜の席ではみんな世話好きになるらしく、逆に気を使ってわざわざ料理や飲み物を持って来てくれる人たちも多くて、一度知らないおじさんからお年玉みたいな袋に入ったお金(千円だった)をもらったこともある。
 親からは夕食代をもらってるから、その浮いたお金で僕はカードやゲームソフトを買っている。でも、それがなくても僕はお通夜のふんい気が嫌いじゃなかった。だからごちそうになった後は、罪ほろぼしの意味で必ずお焼香するようにしている。真剣な顔でお礼してくれる遺族の人を見ると、なんとなくふしぎな気持ちになって楽しかった。

 その日、僕はいつものようにお寺に行き、そこでぐう然「あいつ」に再会した。考えてみたら3ヶ月ぶりだった。でもそこにいたのは、僕の知っている「あいつ」じゃなかった。
 5年の1学期に転校してきた「あいつ」は、クラスの女子の中でも一番の色白で、そのくせお尻ぐらいまでのびてる髪の毛はぬれてるように真っ黒だった。背は学年で一番高いくらいなのに、声が小さくて何を言ってるかぜんぜん聞き取れないし、持久走ではいったい何周、周回遅れになっているのか分からないくらいノロマだったから、いつも昼休みが終わるころまで給食を食べていた。僕が理科室のロッカーの扉をこわしたのを先生にチクったのも「あいつ」だったし、生徒会の選挙にむりやり立候補させられそうになった時は大泣きして文句を言っていた。以前は外国に住んでたとかで、ちょっと感覚がズレたところがあって、だから女子の中でも「クロキン」と呼ばれてバカにされていた。「クロ」とはひときわ目立つ黒ぶちのメガネをかけていたからで、「キン」はおそらくバイキンの「キン」だろう。うわさではとっくに中学生になっている年なのに、学校を落第し続けていまだに小学生なのだという。
 当然のように「あいつ」はいじめに合ってて、僕はそういうのあまり好きじゃないから加わらなかったけど、けっこうひどい目に合っていたことは知っていた。だから6年になって「あいつ」がいなくなった時、僕はてっきりいじめを苦にして学校を去ったものだと思っていた。

 「あいつ」がちがっていたのは、黒ぶちメガネをしていなかったからじゃない。学校では決して見ることの出来なかったにこやかな笑顔の写真が、「遺影」だったからだ。

「学校のお友達ですか?」
 黒い洋服を着たおばさんが声をかけてきた。席の場所からすれば喪主のはずで、おそらく「あいつ」の母親らしかった。となりでうつむいたままの人が父親だろうか。
「本人の希望もあって学校には連絡しなかったんですけど、今日はどうして?」
「いえ、僕は・・・」(まさか「毎日通っていて、たまたま」とは言えない)
「あなた、もしかして、権藤くん?」
「!」
 僕は自分の名前を呼ばれておどろいた。心ぞうが止まりそうだった。思わず大きくうなづいた後で、よくない想像が色々わいてきた。何かうしろめたいことはなかったか、頭のすみっこまでひっくり返すように思い出そうとした。
「じゃあ、あなたも約束をおぼえていてくれたのね」
 今度は、どんな約束だったかを探してみる。「あいつ」と話をしたのは何度もあったわけじゃない。それなのに、そんなおぼえは僕の頭の中のどこにもなかった。
「今日は急なことだから持って来ていないんだけど、明日の告別式にもう一度来てくれない?」
「いえ、あの・・・あ、あの、どうして死んじゃったんですか?」
 僕は返事に困って別のことを聞いた。おばさんは特に悲しいそぶりも見せずに、たんたんと話し始めた。
「病気だったのよ、もうずいぶん前からね。とっても難しい病気で・・・。アメリカに住んでたことは聞いてたでしょう?むこうの有名なお医者樣にみてもらってたんだけど、それでももう治らないって言われて。あの子がどうしても日本に帰りたいって言うから、むり言って退院させてもらって。せめて最後ぐらい自由にさせてあげたかったから。・・・お友達ができなくて、かえってさびしい思いもしたみたいだけど、権藤くんの話はよく聞かされてた。「ゴンベくん」って呼ばれてるのよね?元気があってやさしいって言ってた。もしかしたら、好きだったんじゃないかな」
 そう言ったところで、おばさんは僕の顔をしげしげとながめて、照れたように笑った。どう反応していいか分からなかった。
「良かったら、お顔を見せてあげてちょうだい。カオルも喜ぶと思うから」
 おばさんは立ち上がって、遺影の下にある木の箱のふたを開けた。わけも分からず、言われるままに僕はそれをのぞきこんだ。
 生まれて初めて、死んだ人を見た。
 それが死んだ人を入れる箱なのだと、初めて知った。
 鼻の穴に入れられた白い綿みたいなのが、おかしいようで悲しいようで、とにかくひどくみじめな気分になった。

 家に帰ってからも、何度となくその顔が頭に浮かんだ。おばさんの言っていた「約束」のことを思い出そうとしても、その中に出て来る「あいつ」の顔が、さっき見てしまった冷たい顔の方に代わっていて、何度も吐きそうになった。
<自分も死んだら、ああやって鼻に綿を入れられるんだろうか?
 そう考えると、やっぱりみじめな気分になった。
<どんなにきれいな顔をしてても、あれはひどい。
 僕は写真の顔を思いかえした。そう、写真の「あいつ」はちっともブスじゃなかった。たぶんクラスでもきれいな方に入るはずだ。だけどみんなからはブスだと言われ続けた。どうしてだろう?僕も何度か「あいつ」に向かってブスと言ったように思う。それはメガネのせいだったし、いちいち口うるさく文句を言ってくる「あいつ」の性格のせいだった。でも、本当はブスじゃなかった。どうして気づかなかったんだろう?
 おばさんは、「あいつ」が僕を好きだったかもしれない、と言った。でも僕はそんなふうに感じたことはない。だいたい「あいつ」と話をしたのはほんの数回だし、しかもほとんどが口げんかと決まっていた。しかも「あいつ」が先生にチクったせいで、僕は書き取りの宿題だってさせられている。それなのに、なぜ?
 ・・・何も分からなかった。分かったのは、僕は「あいつ」のことを何も知らない、ということだ。僕の知らない「あいつ」がいた、ということだけだ。
 今まで一度も「あいつ」のことなんて考えたりしなかったのに、その夜、僕の頭は「あいつ」のことでいっぱいになっていた。

 次の朝、僕はいつもと同じように学校へ行った。結局、「約束」のことは思い出せないままだったし、午前中に行われる告別式には、どっちにしろ行けるはずがなかった。「あいつ」のことをだれかに聞けば分かるかもしれないと思ったけど、だれに話していいか分からなくてやめた。朝の読み取り会が終わるまでクラス中の顔をながめていたら、そのうちみんなの鼻の穴に綿が入っている姿が思い浮かんで、また吐きそうになった。ゆう霊が列をなしておそって来るゲームのことを思い出した。
「ゴンベさー、ミクロマン欲しい?」僕の列の一番後ろの席のフッチが話しかけて来た。「集めてたじゃん、たしか。おれもういらないんだけど欲しい?」
「うーん、でももうかなりダブってるしなー。レアなのだったら欲しいけど。前にもヒロリからいっぱいもらってるしー・・・!」
 その時、僕はとつ然「約束」のことを思い出した。
<そうだ、たぶん、あの時のことだ。
 ヒロリからミクロマンを大量にもらったのは、たしか5年の終了式の日だ。もうテレビの『ミクロマン』は終わっていて、おもちゃ屋では去年のマグネパワーズの安売りが始まっていた。親からさんざん怒られたけど、僕はどうしてもミクロマンが捨てられなくて大事に持っていた。家に遊びに来てそれを知ったヒロリと約束して、いらないミクロマンをもらうことになったのだ。その中には僕の持ってなかったシャクネツもあったからうれしかった。
 あの時、ヒロリが持って来たミクロマンを見つけて、「あいつ」が文句を言って来た。「学校におもちゃを持ってくるな」とか、そういうことだったと思う。そしてどういうわけか、日本はアメリカより十年おくれている、という話になったのだ。「アメリカではそんなおもちゃは十年前からあった」と黒ぶちメガネの「あいつ」が自慢げに言った。「今度しょうこを見せる」と。
 僕はようやく思い出した。鼻に綿をしていない「あいつ」の顔を。

 僕は先生に「気分が悪くなった」と言って(吐きそうだったのは本当だ)学校を早退し、そのまま家を通り過ぎてお寺へ向かった。告別式が始まるまであと1時間もあったけど、もうおばさんは昨日とちがう黒い着物姿でそこにいた。そして、僕に気づくとにっこり笑って手まねきをした。
「学校の途中だった?」
「ちゃんと早退してきました」
「ごめんね、無理させちゃって。おばさん気づかなくて」
 そう言うと、おばさんは黒い手さげ袋の中から白い箱を取り出した。クリスマスケーキが入っている箱みたいで、セロテープをはがしたあとのあるふたがよれて、半分開いたままになっていた。
「中の手紙は見ちゃったの。知らなかったものだから。これは権藤くんにあげるつもりだったみたい」
 おばさんから箱を受け取ると、僕はちょっと気おくれしながらふたを開けた。
 中には、今まで見たこともない人形やおもちゃのメカが入っていた。「あいつ」が言っていたように、かっこうがミクロマンに似ているものや、足のうらに磁石が入っているもの、ジュース缶が開いて中からメカが出て来るものなど、どれもミクロマンにそっくりだった。「あいつ」が言っていたのは、本当のことだったのだ。
「アメリカの病院で仲の良かった子からもらったものなんだけど。男の子のおもちゃだから、きみがもらってくれるとうれしいな。・・・手紙も読んであげてね」
 小さく折りたたまれた2枚のうす紫色の便せんには、おばさんが言ったのと同じようなことが何行か書かれていて、最後に「ごめんなさい」と結ばれていた。2枚目には何も書かれていなくて、僕はひどく物足りない気分になった。分からなかったことを教えてくれる言葉は何もなくて、何も分からないままだった。だから、僕にも何もできなかった。自分で思ったこと、感じたことを「あいつ」に伝えられないのがくやしくてしょうがなかった。もう何もかもみんな遅すぎて、何もできない。
 たぶん僕はこれから、「あいつ」が残したものを見るたびにそう思うのだろう。毎年、周回遅れを重ねていく「あいつ」のことを考えるのだろう。残されたものは「あいつ」のむき出しの心のように思えるけど、それにふれた痛みは、僕にしかやって来ない。

 僕はそれから、お寺には行かなくなった。

[この物語はフィクションです]


MATTEL / ComputerWarriors
BANDAI / Skysurfer
COLECO / Starcom


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