No.35/Vol.38 「まいご」

 新店鋪のオープン日は、まるで戦争だ。
 新設されたばかりのショッピングセンターの一角を占める新店鋪は、郊外のベッドタウンから更に車で10分という立地の良さ(実際には悪いんだが)もあって、かなり広々とした内容になっている。規模で言えばチェーン店の平均の倍くらいはあるだろう。天井が高い上にレジ方向に対する奥行きにゆとりがあり、その中程までを占める幼児向けの専門スペースから先には4基のエスカレーターを備えた中2階部分もあって、いっそう広さを感じる作りだ。
 市価よりかなり安いはずの店頭価格から、さらに全品が1割引になるというオープンセールの効果もあって、広い店内はそれを埋め尽くさんばかりの客でごった返していた。いたるところでショッピングカートが渋滞を起こして、商品補充のためのコンテナキャリアは立ち往生をくり返すばかり。近隣の店鋪から相当な数のヘルパーと臨時のバイトが動員されているってのに、この人手に対抗するのは焼け石に水だったようだ。早朝から閉店間際になるまで、ほんの数分の休憩をとることすらできず終いだった。
 補充用の商品も底を尽き、ウェアハウスに在庫分を引き上げさせる頃になると、膝に溜まった疲れがどっとあふれ出て来た。ブレイクルームからロッカールームに至る通路は既に人でいっぱいで、休めそうな場所を探すうちに事務室へとたどり着いた。こちらは逆に閑散としている。真新しいガラス扉の向こう側、いかにもオフィス然とした応接セットのソファに、康平の姿を見つけた。

「なんだい、結局その子の親は見つかってねえのか?」
 康平がこっくりと頷く。その脇では、まだ涙の跡がはっきりと頬に残った4〜5歳くらいの女の子が、今しがた俺が入ってきたガラス扉の方をじいっとにらみ付けていた。赤らんだ顔と同じようなピンク色のぬいぐるみが、小さな手にきつく握りしめられてヘタっている。
「もうぼちぼち閉店の時間だろ?センターの管理室に引き渡した方がいいんじゃないか?」
「そっちの方も8時には終わっちゃうらしいんで、あとはもう、警察ってことなんですけど。事務の人は残業らしいんで、そっちに渡そうかと思うんですが」
「うーん、困ったもんだなぁ」
「そうですよねぇ。なんかずっと一緒にいたら情がうつっちゃって」
「じゃあ、その子連れてうち来るか?」
「あはは、まさか・・・」
 苦笑する康平は、去年、住んでいたアパートが火事で焼失して、それ以来俺のうちに下宿している。下宿とは言っても、もともとうちは俺の親父が建てた木造2階建てのアパートだ。2年前に親父が他界したのを機に、取り壊して建て直そうとして住人には退去してもらったのだが、資金繰りがつかず結局そのままになっている。
 今は康平と、職を失った古い友人が夫婦で住んでいるだけだ。女房からは家賃を取るように小言を言われ続けているが、自分が勧めて住まわせているようなものだから、なかなか言い出しづらい。
「あー、逆井さん、こんにちはー」
 と、事務室に入って来た若い娘が声をかけてきた。長く伸びた茶髪を軽くひっつめた髪型に見覚えがなくて一瞬とまどった。
「おう、なんだ、萌絵ちゃんか。今日は手伝い?」
「ううん、こっちに移って来たんですよ。うちからはこっちのが近いし」
 そう言うと萌絵ちゃんは何の気負いもなくソファに腰を下し、軽く脚を投げ出した。素足が見えるから、エプロンの下はきっといつものスカート姿だろう。
「フロアやってんの?大変だったろ?」
「そうなんですよ、さっき見たらリファンドスリップの束が2センチぐらいになってて、もう倒れるかと思っちゃいました。・・・あれ?迷子ですか?」
「うん、誰も世話する人間いないって言うから、こっちの若いの回してやったんだけどさ」
 康平が「どうも」って感じで軽く頭を下げる。
「そうなんですか、どうもすいません。じゃあ、私が代わりますよ」
「あ、でも・・・」と申し訳なさそうに康平が見た先には、しっかりと康平のシャツの裾を握っている小さな手があった。萌絵ちゃんはその手ではなく、もう片方のぬいぐるみの方に目をやった。
「あ、『さくら』だ。すっごーい」
「それ売り物だろ、いいのかい?」
「これうちの商品じゃないですよ。ちょっと前に限定で出たんですけど、今じゃすごいプレミアになってて。店に並んでたらすごいことになっちゃいます。・・・これ、あなたのよね?ねぇ、おねえちゃんと一緒に行く?」
 萌絵ちゃんが声をかけると、女の子は握った手にいっそう力をこめた。
「なんかこの子、難しいっぽいですよ、そのへん」
「この子、名前は?」
「いや、何もしゃべってくれないんで・・・」
「あなたのお名前は?」
「・・・・・」女の子はしゃべらないどころか、唇をぎゅっと結び直した。確かに手強そうだ。
「お名前分かんないと、お父さんやお母さん来てくれないよ。それでもいいの?」
「さっきからそう言ってるんですけど・・・」
「今ごろみんな心配してるんだよ。泣いてるかもしれないよ!それでもいいの!?」
 萌絵ちゃんは康平のシャツを握った女の子の腕を強引に振り解き、声を荒気て言い放った。萌絵ちゃんというのは普段どこかポーッとして大人しそうな娘だから、ちょっとその変貌ぶりに驚いた。
「それでもいいんだったら黙ってなさい!でも見つからなかったら、ずっとここに居るんだよ。私たちは帰っちゃうから、夜になったら一人でここで寝るんだよ、いいの?」
 女の子もさすがにおびえたのか、目を丸くして萌絵ちゃんを見ている。今にも泣き出してしまいそうに、ふっと唇がほどけそうだ。
「いや、萌絵ちゃんそこまで・・・」
「・・・さ、なら・・・」と、女の子が何か喋り出した。「・・・さよならって言ったの、パパとママ・・・。だからもう帰れない。お家には帰れないの・・・」
 表情や身体のこわばりをいっそう激しくして、身震いを始めた女の子を、最初に事の重大さに気付いた萌絵ちゃんが、優しく包み込むように抱きしめた。辺りの喧噪が遠のいていた。

 女の子は「りお」という名前で、今朝早くに車で両親と共に来たらしい。ひとしきり店内を回った後、両親はりおちゃんに別れを告げて立ち去った。ぬいぐるみはもともと母親のものだったらしいが、今朝になって突然渡されたのだと言う。
 話の内容にも確かに驚いたのだが、そこまで一気に語らせてしまう女の力、みたいなものにすっかり感心した。男というのはこういう時、ほんとに何もできんのだった。

 りおちゃんは、いつの間にか康平の腕の中で寝息をたてている。
 エアコンの利きが悪い運転席で、それを気づかった萌絵ちゃんが、着ていた薄手の上衣をりおちゃんの体にそっとかけた。
「どうします?逆井さん?」康平が訊ねる。
「警察に行くしかないだろう。名前だって分かったんだし、身元はすぐに分かるよ。それに、親が考え直して戻って来た時、確実なのはやっぱり警察だからな」
「親が戻って来ても、この子、幸せになれない気もしますよね。なんだかかわいそう」
「すぐに忘れちまうよ。親が間違いをくり返さなきゃ」
「だといいんですけど・・・」
 康平が何かを言いかけて止めたのが、サイドミラーに映って見えた。それからまたしばらく、車内は無言になった。
「そろそろ車出すぞ」
「逆井さん、もうちょっと待ちませんか?」
「店が閉まってもう4時間だよ。俺はいいけど、萌絵ちゃんは家の人、心配すんだろ?」
「私だったら大丈夫ですから。オープンで遅くなるかもって言ってありますし」
「じゃあ、もうしばらく待つか」
「あの、変な話かもしんないっすけど、親も迷子になってるってこと、ないですかね?あの、たとえ大人でも、迷わないってこと、なくはないですよね?」
「何言ってんだよ?だいの大人が迷子になるなんてこたぁないだろう」
「いや、そうじゃなくて、たぶん迷ってると思うんですよ、たぶんすぐ近くで。ほら、警察だと敷居高いじゃないですか。少しでも戻りやすいところに居てあげた方がいいかなって思うんすけど」
「でもなぁ・・・」
「私も・・・」萌絵ちゃんがそれに続けた。「私もそんな気がします。自分も、たまに迷子になったように思う時があって・・・。迷いのない人間なんて、あんまり居ないじゃないですか。自分が居るべきところとか、帰るところを知っている人の方が、少ない気はしますよね・・・」
 萌絵ちゃんの口調は、どことなく自分に言い聞かせるようだった。康平はそれに黙って頷いた。
「なんかお前たち、お似合いだな。若いせいかな」
「えっ?」
「似てるよ。なんかママゴトやってる子供みてえだ。悪いけど、そういうのは子供の国でやってくれ。何もできねえくせに優しい言葉ばっか並べりゃカッコつくとでも思ってんのか?そうやって同情しても、この子はちっとも幸せにはなれねえんだよ」
「そんなこと、思ってないっすよ」
「お前たちはほんとによく言ってるよ。迷ってるとか、居場所がないとか。要するにお前たちは、どこかに当てはまろうとしてるだけなんじゃねえか?どこかにはまって楽できると思ってんじゃねえのか?それを夢とか希望とか抜かして、どこにもねえ、見つからねえって、自分のせいにしたり他人のせいにしたりして、カッコ良く人生悲観する口実にしてるだけなんじゃねえか?そりゃ贅沢だよ。口先ばっか利口になって、てめえの口がもの食うためにあることを忘れちまってるんだよ。生きてくことってのは食ってくことだろ。そりゃあ不様なもんだ。でも不様でいいんだ。生まれたからには生きるしかねえし、生きるのはハナっから楽じゃねえんだよ」
 どういうわけか、言葉が次々と湧いて来た。何かずうっと言いたかったことが、一気に吹き出したようだった。
「俺んちはさ、子供ができねえんだよ。生き物ってのは、子供を作って、残してくのが仕事だろ。それができねえんだよ。そりゃあ辛いよ。夢とか意味とか、ないわけだからな、俺と女房には・・・」
 調子にのって言い過ぎた気もした。自分でも何を伝えたいのか分からなくなった。二人は完全に押し黙った。
「生きてく道なんて、そう沢山あるもんじゃない。答が分かってるのに、勿体ぶっててもしょうがねえだろう・・・」
「あ!あれ・・・!」
 萌絵ちゃんの指差した前方の、ショッピングセンターの入口の常夜灯の光の中に、はっきりと二人の男女の影が見えた。

「じゃあ、明日もよろしくお願いしますね」
 萌絵ちゃんはそう言うと、いつも通りの笑顔を見せてマンションへと入って行った。康平と並んでそれを見送る。
「・・・いい娘だろ?」
「はぁ、まぁ・・・」
「照れるなよ。これであれだな、お前たちが結婚することにでもなったらだな、俺が仲人だよな」
「何言ってんすか。結局あの子、俺の名前とか聞いて来なかったですからね。興味ないんじゃないすか」
「なんだい、結構気にしてんじゃねぇか」
「いや、気にしてませんけど」
「そんなもん、ガンダム君でいいじゃねえの」
「いや、逆井さん、それは・・・」
「あー、疲れた。おい康平、お前ちょっと運転替われ」
「え?でも俺、免許が・・・」
「動かし方分かってんだろ。俺が見ててやるから、お前やれ」
 助手席に乗り込むと、何か柔らかいものが足に触れた。さっきまでりおちゃんが大事に持っていた、ピンク色のぬいぐるみだった。
「あ!それ、忘れ物?」
「いいんじゃねえか、子守り代ってことで」
「・・・そうですね」
 仲人という言葉を口にして、なんとなくたまには女房に服でも買ってやろうかと思った。
 なんとなく、だ。

[この物語はフィクションです]


Ty / beanie babies 'SAKURA'


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