No.37/Vol.36 「コスプレ探偵とバラバラ事件」

「なんだ、結局お前もいっしょかよ」
 見るからに高級そうな家々が建ち並ぶ住宅街の中でも、ひときわクラシカルで優美な印象を持つヨーロッパ風の3階建て住居の玄関から、まるで家人のように応対に現れた島崎刑事(になってしまったのだ、もう)は僕にいきなり毒づいた。
「なんだ、じゃないだろ?オレの携帯に電話してきたくせに。それともアレか?オレはただのマネージャーってことなのか?」
「そうじゃなかったんですか?ねぇ、びらん樣?」
 島崎の眼中はもう、遅れて車から降りてきたびらん樣でいっぱいになっているらしい。
 胸元にきらびやかなジュエリーをあしらった純白に薄く透けるドレス姿のその人こそ、「生きる伝説」と称される日本最高のコスプレイヤー、誘幻寺びらん様であった。本日の衣装は、某ビデオアニメーションの主人公がそのラストで見せた王女の姿を再現したもので、ドレスはエジプト産の最高級正絹を英国のオートクチュールに縫製させ、胸のジュエリーはフランスの宝飾職人が3ヶ月かけて仕上げている。ひときわ輝く中央の赤い宝玉は、数百万円もする純度99%の本物のアメジストだ。これを本格と言わずして何が本格か。
「運転手だったわよ、ね?」
 びらん樣はそう言って悪戯っぽく笑う。ハートの型に入れて焼き固めたチェリーパイのような唇の形が、僕の瞳に焼き付いた。
「そ、そんなぁ」
「うふふ。冗談よ、山ノ内。さぁ、参りましょう」
 僕は少し困りながらも、その唇から覗いた白い前歯をもう一度瞳に焼き付けた。ああもう死んでもいい。いや、せめてその唇に一度触れるまでは死にたくない。できれば僕のこの唇で、なんつってムフ。
「何やってんだ、早く入れよ運転手くん」

「ようこそいらっしゃいました。貴方の噂はアシスタントの子たちから聞いてましたわ」
「ありがとうございます。小宮川先生にそう言っていただけて光栄です」
「まぁ、それ、もしかしてキサラ姫の?」
「革命後の、宮殿でのパーティの衣装です。アニメ版の方ですけど」
「そうよね。私が描いたのはもう少し肩口にボリュームがあったし、胸元はアクセサリーじゃなくてレース編みだったもの。アニメではああいう線の多いデザインはダメなのよね。よく似合ってるわ、とっても嬉しい」
 そう、その日びらん樣は漫画家の小宮川先生宅に向かうと聞いて、3年前に作ったという先生の大ヒット作品のキャラクター衣装を、わざわざクローゼットから掘り出して来たのだ。ちなみに4桁にも及ぶ数の衣装を保管するクローゼットは広さが30畳以上もあり、24時間エアコン稼動で常温常湿を保っているらしい。ちなみのちなみにうちのアパートの5倍の広さだ。いや、うちにだってクーラーはあるけど。
「ところで、奇妙な事件とお伺いしましたけど・・・」びらん樣は早速本題に入った。そうだったそうだった。
「そうなのよ。現場は私の寝室だから、島崎さん案内していただける?私、ちょっと編集者を待たせているものだから、しばらく仕事場の方に戻らせていただくわ」
「了解しましたっ」なぜか島崎は先生に敬礼した。おまわりさん気分は相変わらず抜けてないらしい。

 先生の寝室は最上階である3階にあった。説明しておくと、僕らが通された応接間がある1階と2階は、先生の作品作りのための作業スタジオになっていて、アシスタントの人達も自由に行き来できるいわゆる共有部分である。一方、3階は完全にプライベートな空間で、1階の玄関脇にある専用エレベーターからでないと出入りできない。エレベーターは暗証ロックが付いているタイプのもので、要するに玄関の中にもう一つ玄関がある感じだ。僕が知らないだけで、珍しくはないのか?
「チーフアシスタント以外は、内部の人間もなかなか先生の私室には入れないらしいですよ。暗証番号も無闇に教えないそうです」島崎は僕を無視してびらん様にだけ説明した。なんだか本当に気に入らない態度だ、こいつ。
 エレベーターが3階に到着して、開けた空間はまさしくヨーロッパの古城の内部を思わせる造りになっていた。広々とした廊下には深い緑色の絨毯が敷かれ、金色の装飾されたノブの付いた白塗りのドアとドアの間には、おそらくそれも「芸術」なのであろう抽象画がいくつも飾ってある。廊下の突き当たりの部屋は観音開きのドアが開け放たれていて、日当たりの良さそうなリビングにアンティーク風の家具、それに光を受けて眩しいシャンデリアが見えた。まさにゴージャス。でも、呆れはしても驚きはしない。いや、妬みとかそういうんじゃなくて、きっとびらん樣の自宅はこれ以上なのだという確信があるからだ。それに、なんとなく好きになれない雰囲気もあった。あくまでも妬みじゃなく。
 奥のリビングの一つ手前が寝室で、僕の予想通り、そこは天蓋の付いた寝台を中心にアンティーク調家具でまとめられたゴージャスベッドルームだった。そして事件現場と言うからには、当然何者かに荒らされた形跡があったのである。
「まぁ、これね・・・」びらん樣がぷっくりと丸みを帯びたあごの先にそっと人さし指を添えて呟く。
 廊下側の壁に面して置かれたサイドボードから、中央の寝台の上に至る空間が、色とりどりの布くずで覆われていた。よく見れば、それがバラバラに解体されたぬいぐるみであることが分かった。ところどころに痛々しく顔や手の部品が見える。
「『ビーニー・ベイビー』って言うんですか?僕はちょっと専門外なんでよくは知らないんですが、200体近くあったそうです。事件が発覚したのは昨夜。先生は昨日の午後にこの部屋を出て、深夜就寝のために戻って来たところこの有り様だったそうで、その間内部の人間は出入りしていません。そっちの方は裏も取れています。侵入者の形跡は無し、当然指紋その他の遺留品も無し」
 びらん樣はドレスのスカートを気にすることもなく床にしゃがみ込むと、無惨に切り裂かれたぬいぐるみの残骸をいたわるようにいくつか手にした。垂れ下がった金色の髪がその指にかかって、まるでそこにだけ一条の光が差したように輝いて見える。すると・・・。
「泣いてるんですか・・・?」僕はびらん樣の息づかいが微妙に引きつったのが気になったのだ。
「だって、この子たちには何の罪もないのよ。かわいそうに・・・」
 そう言うと、びらん樣はその残骸を一つずつ集めて、なんとか元の形に戻そうとしはじめた。僕もすぐにそれに気付いて同じように集めてみる。島崎も続いた。びらん樣一人にそれをさせるのは、とてもいたたまれなかった。

 一通りすべて元の形に並べ直す頃になると、ようやくびらん樣は落ち着きを取り戻したようだった。
「みんなタグが切り取られてるのね」
「タグって、このハート型のやつですか?」
「うん。このタグは本物であることを証明する証明書でもあるの。だからタグが付いてないと市場的には価値を持たなくなる。本当は付いてると可愛くないんだけど」
「それにしてもヒドイことするなぁ。これだけ集めるの大変だったろうに」
「そうでもないらしい。漫画家って忙しくてなかなか外に出かけられないから、訪問販売の業者が出入りしてたそうなんだ。何もしなくても定期的にそのディーラーが現れて、あれやこれやと置いて帰るんだと。廊下にある絵とか調度品関係、あと時計とかアクセサリーとか」
「さすが金持ちは違いますな」
「それがさ・・・」島崎が急に声を小さくしたので、びらん様と僕は思わず島崎に耳を寄せる。びらん様のシャンプーの残り香が、瞬間僕の鼻を掠めた。「実はけっこう大変らしい。チーフの人から聞いた話、いや、もともとアシスタントなんてチーフ1人しかいないんだけど、最近は単行本の売り上げも減ってきてて、収入は以前よりかなり落ち込んでるみたいなんだ。だから今はそうやって買ったものを少しずつ売り払っているらしい。このぬいぐるみも相当なプレミアもので、コレクターに売りさばこうとしてた矢先にこんな事に・・・」
「確かに、最近雑誌でも見ないもんな」
「面白くないもの。なんだか新鮮さがまるで感じられないってゆーか、どれも昔の作品の焼き直しだし、絵にも魅力が無くなってきてるし」
「す、鋭いっすね」ってゆーか、一応は全部読んでるのだ、びらん樣は。
「今日、おうちを見せてもらって、なんとなくその理由も分かっちゃった」
「で、犯人像みたいなのは分かりました?」
「・・・さぁ・・・」
 びらん樣は身体を元に戻すと、天を見上げるような遠い目をして、頬にかかった髪の毛をかき上げた。言葉とは裏腹に、僕はびらん樣が何らかの確信を得たのだと直感した。

「どうでした?何か分かりまして?」
 僕らが1階の応接室に着くと、先生は待っていたようにそこでお茶を飲んでいた。あれ、編集者はどうしたんだ?
 すると、びらん樣がスッと前に歩み出て、先生に向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、先生。どうやら私どもではお役に立てないようです」
「そう・・・いいのよ、気にしないで頂戴」
 先生は気丈に振る舞っていたが、その目からは明らかに落胆が見て取れた。
 僕らは気まずさもあって、お茶の誘いを断わって先生の家を出た。

「あの・・・」僕は助手席で口をつぐんだままのびらん様に声をかけた。なんだか元気が無さそうなのがずっと気になっていたのだ。「本当は分かってたんじゃないですか、犯人のこと・・・?」
 そんな僕の心配をよそに、びらん樣はあっさりと語り始めた。
「犯人は、あれを売り付けたという出入りの業者。あそこにあったビーニー、ほとんどがニセモノだったの。切り離されたタグもニセモノ。そんなものが目の肥えたコレクターに渡ったら、ニセモノを売り付けたってことがバレちゃうから、先手を打って売れなくしたのね。個人的な用件でやって来る出入りの業者なら、暗証キーの番号ぐらい知ってても不思議じゃないわ」
「そこまで分かってて、どうして先生に黙ってたんですか?」
「ちょっと、イジワルしたくなったの。ビーニーだけじゃなく、あの家にあったのは贋作ばかりだった。きっと騙されて売り付けられたんだと思うけど、私自身もちょっと騙された気になったの」
「そんな・・・」
「キサラ姫はね、貧しい鉱夫の娘でありながら、本当の美を知っていたことで救われるの。実は王女だったっていうのは、ただの付け足し。・・・もしかしたら、あの人はそういう上を見上げる力でしか本当の作品を生み出せないのかもしれない」
「そうだったんですか。がんばって欲しいですね・・・え、じゃあ、さっきはニセモノのために涙を?」
「ニセモノでも本物でも、かわいいぬいぐるみであることに変わりはないじゃない・・・」
 びらん樣はそう言うと、窓の外を向いたきり、また黙ってしまった。僕はかなり口をすべらせてしまった気がして、続く言葉を探したけど、結局何も思い付かなかった。
 バックミラーに映るびらん樣の胸のアメジストが、一瞬色褪せたように見えた。でもそれが、僕の知る限り一番美しい宝石であることに間違いはない。

[この物語はフィクションです]


Ty / beanie baby bears


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