そして訃報

同じ1月2日に、オレと同じ東映特撮のキャラクターデザイナーの大先輩でもある野口竜さんが逝去されました。

野口さんは、亡くなった母と2つしか違わなくて、文字通り親子ほど歳の離れた方ですし、当然ですがオレ自身もベーダー怪物とか不思議獣とか見て「育った」世代なので、そのキャリアと手がけた作品の前にただただ尊敬と畏怖の念を抱くしかないわけですが、その一方で嫌な言い方をしますと、オレにとっては常に目の上のたんこぶ的な存在でもありました。
同じ土俵で、しかも少ない席をかけてしのぎを削るフリーの絵描きとしては、ライバルとならざるをえないからです。だからクラウド時代はよく「それで野口竜を越えられるのか?」と叱咤を受けました。たぶんそれを口にしている雨宮さんにも、同じような思いがあったのだと思います。

そのことで一番に思い出されるのは、『ジュウレンジャー』の時のことです。
オレがオファーされたのは、バンドーラをはじめとするレギュラーキャラクターだけでしたが、前年のジェットマンで1年間おあずけをくらった身としては、どうにかして毎週のデザインも担当したかった。そこで、頼まれてもいないゲストキャラのデザインを何枚か描いて、企画会議の時にいきなりそれを見せるという、今にして思えばとんでもなく厚かましい計画を企んだのです。

まぁその結果はここに書くまでもなく歴史が証明してるわけですが、それぐらい野口さんの絵には魅力がありました。そしてそれと同じくらい野口さんの人柄にも魅力があって、だから常に「打倒!野口竜」を念頭に置いていたオレですら、やっぱり野口さんと一緒に仕事ができると嬉しかったのです。

野口さんと直接お話をした機会はそれほどなくて、しかもお互いに警戒してるのか気恥ずかしいからなのか、あまり「絵」の話をしたことがないのですが、一度だけ「貴方は(他人の絵を)よく勉強している」と言われたことがあります。褒められたのかな?と一瞬思いましたが、その後で「誰かのマネばかりで、自分の絵が無い」と指摘されているようにも思えました。真意を探ろうと思いましたが、ニコニコされるばかりで相手にされませんでした。
ただ、野口さんがそこに注目したということは、言い換えればそこだけはオレが野口さんを凌駕できる可能性がある、突破口になりうるのではないかと考え、それからは意識的に他人の絵を学ぶ視点を持つようになりました。そのスタンスは、今も変わっていない気がします。

先日刊行された『百化繚乱』の見本誌が届いて、真っ先に野口さんのページを開きました。やっぱり笑っちゃうくらい大胆で、繊細で、ユーモラスで、ウィットがあって、怖かったり、かわいかったり、「悔しいけどやっぱ野口さんスゲェな天才だな」と、思っていた矢先の訃報でした。
もう野口さんとしのぎを削ることがないと思うと、本当に寂しいです。やるせない。